映画史に残る「バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF))」3部作はなぜここまで長くファンに愛されるのか?3作それぞれの見どころを紐解いてみましょう。(文・田中雄二/デジタル編集・スクリーン編集部)

世界的な大ヒットを記録してタイムトラベル映画の歴史を塗り替えた第1作
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985)(続き)

スピルバーグが嫉妬を覚えたというゼメキスとゲールの卓越したアイデア

画像: SCREEN 1985年12月号より

SCREEN 1985年12月号より

例えば、1955年に飛んだマイケルが体験するこんなシーンは象徴的だ。1985年では市長になっている黒人が、1955年当時はコーヒーショップのウェイターをしており、彼と出会ったマイケルが「君は将来市長になれる」と励ますシーン。

また、1955年の若きドクにマーティが「大統領は(元俳優の)ロナルド・レーガンだよ」と1985年の状況を伝えると、ドクが「じゃあ副大統領は(喜劇俳優の)ジェリー・ルイスか?ファーストレディは(レーガンの元妻で女優の)ジェーン・ワイマンか?」などと馬鹿にするシーン。

マーティが、若き日の両親の卒業パーティで、1958年発表のチャック・ベリーの「ジョニー・B.グッド」を演奏するとそれを聴いた黒人のバンドマンが〝いとこ〞のチャック・ベリーに、「すげえ曲だぜ」と電話で聴かせるシーンなど、時代差やタイムパラドックスを生かした楽しいネタがちりばめられている。

画像: スピルバーグが嫉妬を覚えたというゼメキスとゲールの卓越したアイデア

加えて、本作の特筆すべきところは、従来の過去へのタイムトラベルものにありがちだった暗さがあまりないところだ。こうした話は数多くあるのだが、そのほとんどが暗い現実から逃避するために懐かしい過去へと旅をする話である。従って主人公の心境には暗い影が色濃く出ていた。ところが、図らずも過去へ旅をした本作の主人公マーティは、必死になって自分の時代に戻りたがる。

だからタイトルが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』となるわけだ。自分の時代が大好きなマーティには、昔は良かった式の後ろ向きの考えがなく、常に前向きなのだ。その意味では、本作は、ゼメキス&ゲールの明るさと、懐古趣味的な味わいが適度に混ざり合い、見事なSFコメディになったともいえるだろう。

ゼメキスの監督としての成功は、スピルバーグと、彼が作った独立映画製作会社アンブリン・エンターテインメントの存在を抜きにしては語れない。ゼメキスと盟友のゲールは、スピルバーグの庇護のもと、『抱きしめたい』((1978年)と『ユーズド・カー』(1980年)を映画化することができた。どちらも興行的には失敗したが、スピルバーグは「そのうちに彼らは何か大きなことをやらかす予感がした」と決して見放さなかった。

そして5年後、ゼメキスとゲールから、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のアイデアを聞かされた時、スピルバーグは嫉妬を覚えたという。「本当は僕が撮りたいようなアイデアだったからね。もちろん彼らが考えたのだから、僕が監督をする権利はなかったんだけど...」。その結果、スピルバーグとアンブリンは多大な報酬を手にし、監督としてのゼメキスの株も急上昇。この成功が、後の『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)でのさらなる成功につながったのだ。

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「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」(1989)

未来に行ったことによってマーティにとってのディストピアが生まれてしまう

1955年から1985年に戻ったマーティ(マイケル・J・フォックス)の前に、ドク(クリストファー・ロイド)が現れ、未来のマーティの息子が窮地に陥ると告げる。それを回避するため、マーティと恋人のジェニファーとドクは年後の2015年にタイムトラベルする。現在、過去、未来が交錯するシリーズ中間作。

主なスタッフ、キャストは前作同様だが、マーティの父親役のクリスピン・グローヴァーが降板し、ジェニファー役がクローディア・ウェルズからエリザベス・シューに代わっている。

実は本作と『PART3』は並行して製作されたのだが、内容の濃さと上映時間が長くなることを考慮して2本に分けられ、『PART3』は半年後に公開された。

監督のロバート・ゼメキスは「『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980年)で冷凍化されたハン・ソロが、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(1983年)で解凍されるまで3年かかったことに比べたら、半年なんてたいしたことはないよ」と述べたという。

さて、前作の終わり方を見れば〝続編〞が作られることは当然予想ができた。その後、同じスタッフ、キャストで製作されるという話が伝わり、観客は公開を心待ちにした。それは言うまでもなく、前作が圧倒的に面白かったからであり、その後、ゼメキスが撮った『ロジャー・ラビット』(1988年)も、実験的な面はあったが、大いに楽しめたので、いよいよ安定してきたと思わせたからである。

ところが本作は、マーティとドクの掛け合いは相変わらず楽しいのだが、残念ながら全体的には前作の面白さを超えてはいなかった。その理由の一つは、『PART3』が並行して撮られたためか、話が中途半端なままで終わってしまったこと。加えて、前作で強烈な印象を残したマーティの父親役のグローヴァーの不在によって、ストーリーに無理が生じたことが大きな理由だろう。

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