カバー画像:Photo by Larry Busacca/Getty Images
ジム・ジャームッシュ
1953年1月22日、米オハイオ州生まれ。米インディペンデント映画の巨匠として確固たる地位を築いている。
卒業製作で長編デビュー。原点にしてすでに王道。
ジム・ジャームッシュは、ニューヨーク大学出身でニューヨーク在住という略歴から、ハリウッドの対極という意味でのニューヨーク・インディペンデント・シネマを代表する監督として認識されているが、ニューヨークが舞台の作品は意外と少ない。
その貴重な1本が、ニューヨーク大学大学院の卒業制作で長編デビュー作となる「パーマネント・バケーション」(1980)。自分は一つの場所に落ち着けないと自覚するパンクを気取った青年が、ニューヨークを歩きまわり、様々な人と出会い、パリへ旅立つまでを描く。
航走波を延々と映し出すラストシーンで、ニューヨークから出航した船に乗っていた主人公にジャームッシュを重ねると、このシーンはニューヨークに拠点を置きつつ、様々な土地で映画を作る決意表明と解釈できる。
本作の劇伴には、一定のリズムとメロディを繰り返すガムランのような打楽器の音が使われているが、エンドロールではジョン・ルーリーがサックスで演奏する「虹の彼方に」がかぶせられる。不穏さをはらむこの劇伴と、虹は永遠につかめないものという暗喩から、この旅立ちが決して希望に満ちたものではないことが伺える。
日常のささやかなドラマを描写したキャリア初期。
その後の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984)と「ダウン・バイ・ロー」(1986)で、ジャームッシュは『ここではないどこか』『今とは違う何か』を求めるがゆえに安定した生活のできない人々を描く。
メンフィスのホテルを利用する3組の登場人物を描く「ミステリー・トレイン」(1989)ではベルボーイと旅人。世界5都市を舞台にした5本のオムニバス映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991)ではタクシーの運転手と乗客。“とどまる人”と“動く人”を対比させたこの2作品で、ジャームッシュの若き日のキャリアはいったん完成する。
いずれも、旅や冒険、一期一会の出会いにおける出来事やハプニング、トラブルがユーモラスに描写されるが、人生を変えるようなドラマは描かれない。タクシー運転手と乗客の心が通っても2人は連絡先を交換しないし、旅が終われば日常に戻るだけなのだ。
実験的作風に挑戦した90年代、原点回帰を経てあの名作誕生。
90年代に白黒で撮った西部劇の「デッドマン」(1995)と殺し屋が主人公の「ゴースト・ドッグ」(1999)はどちらもジャンル映画への挑戦だったのかもしれない。実験的で内省的なこの2本で、ジャームッシュは死と生、魂を見つめるために深く潜った。
21世紀最初の作品は「コーヒー&シガレッツ」(2003)。タイトル通り、コーヒーを飲み、タバコを吸いながら、登場人物がとりとめのない会話をするだけという、言うなればジム・ジャームッシュの原点回帰といえる11篇のオムニバス。
その後、ビル・マーレイというオフビートの権化のような名優を得て、名作「ブロークン・フラワーズ」(2005)が誕生する。隠居生活を送る大金持ちの初老の男が退屈を持て余し、昔のガールフレンドにとりあえず会いに行ってみるという設定は、ジャームッシュの初期3部作そのものだ。
だが、人生に失敗したダメ男の一発逆転ものではないところに、自分の立場と年齢を受け入れているジャームッシュが見える。
近年は愛情をきちんと表現。…からの最新作はゾンビもの!近年は愛情をきちんと表現。…からの最新作はゾンビもの!
前作で俗世に戻ってきたと思いきや、「リミッツ・オブ・コントロール」(2009)「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」(2013)ではふたたび、アートフィルムとしての純度を高めていく。
「リミッツ〜」と続く「パターソン」(2016)では、主人公の男たちからの、恋人や妻への愛情がしっかりと描かれているのも大きな変化。「パターソン」で、初期ジャームッシュ作品では否定されていた“単調な生活”を全肯定してからの、ゾンビが平和な生活をぶち壊す「デッド・ドント・ダイ」(2019)! カンヌも腰を抜かして当然だ。
こうして振り返ると、ジャームッシュのフィルモグラフィーはジャンルもテーマもロケ地も登場人物の人種や国籍も年齢も実に多様性に富んでいる(以前、ジム・ジャームッシュ作品の出演俳優が「ジムは自分をアメリカ人ではなく、コスモポリタンだと思っている」と評していて腑に落ちた)。
それでもジャームッシュ映画という確固たるスタイルがある。ジャームッシュの『こうありたい』『こう生きたい』というそのときどきの人生に対するスタンスが、詩と音楽を愛する彼の言葉とビートを通して、映画に映し出されることで、すべての映画が「ジム・ジャームッシュ」というジャンルになる。
彼にとっての映画はビジネスではなく、人生という永遠に続く休暇を豊かにするために必要な手段。こんなにも次の作品が読めないからこそ、完成が楽しみな映画作家はなかなかいない。