SCREEN11月号で募集した“レジェンド・スター総選挙”に、たくさんのご応募ありがとうございました。人気最高潮のさなかに衝撃的な死を迎えた人、一時代を築いて惜しまれつつ世を去った人……今は亡きスターにも様々な最期がありますが、時代を越えてファンの心に残る人こそ“レジェンド・スター”。そんな伝説のスターたちに、『もう一度あの人にスクリーンで会いたい』というファンの声がたくさん集まりました。今回は、ベストテンを一挙ご紹介します。(文・金子裕子、井上健一/デジタル編集・スクリーン編集部)

第8位 スティーヴ・マックィーン

男たちを夢中にさせたクールでカッコいい鮮烈な生きざま

1930.3.24-1980.11.7

画像: 男たちを夢中にさせたクールでカッコいい鮮烈な生きざま

1980年11月7日、肺がんのため50歳でこの世を去った“反逆児”スティーヴ・マックィーンは、自らの運命と戦い続けた男だった。家庭に恵まれず、幼い頃から問題児扱いされた彼は、数々の職業を転々とした後、軍隊を経て、偶然の成り行きで名門アクターズ・スタジオへ。

ここで才能を開花させ、「傷だらけの栄光」(1956)の端役で映画初出演。主演は終生のライバル、ポール・ニューマンだった。初主演作「マックィーンの絶対の危機」(1958)も、低予算のSF映画。

この逆境の中、マックィーンは一旦、映画から身を引き、テレビ西部劇「拳銃無宿」(1958~1961)の主演で体勢を立て直す。これで人気を得ると、「荒野の七人」(1960)、「大脱走」(1963)で一気にスターの座へ。その後は「華麗なる賭け」(1968)、「ゲッタウェイ」(1972)、「パピヨン」(1973)などで活躍し、理不尽な権威や価値観に抗う男を演じた。

遺作「ハンター」(1980)には、病を押して出演。信念を貫き、運命と戦い続ける姿勢は最後まで変わらなかった。没後40年、傍若無人がまかり通る今こそ、我々はその不屈の生き様に学ぶべきなのもしれない。

スティーヴ・マックィーン

「ブリット」(1968)より

プロフィール

インディアナ出身。少年時代は荒れた生活を送るも、17歳から3年間米海兵隊に所属。1951年にNYの名門劇団ネイバーフッド・プレイハウスに入団し、1955年からアクターズ・スタジオでリー・ストラスバーグに学ぶ。58年に出演したTV西部劇「拳銃無宿」で人気者に。

主な出演作品 :「 荒野の七人」(1960)、「大脱走」(1963)、「砲艦サンパブロ」(1966)、「ブリット」(1968)、「タワーリング・インフェルノ」(1974)

第7位 チャドウィック・ボーズマン

類稀な才能と人間力を兼ね備える英雄であり伝説の愛され俳優

1976.11.29-2020.8.28

画像: 類稀な才能と人間力を兼ね備える英雄であり伝説の愛され俳優

2020年8月28日、43歳のチャドウィック・ボーズマンの突然の死は、世界に衝撃を与えた。映画出演の傍ら、2016年から闘病を続けていたことは、一切伏せられていたからだ。

名門ハワード大学などで演劇を学び、2008年に銀幕デビューした彼は、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016)でブラックパンサー役に抜擢される。

だが、その直後に結腸がんが発覚。病魔と闘いながら主演した「ブラックパンサー」(2018)は、全世界13億ドルの大ヒット。黒人が主要キャストを占める作品で、アカデミー賞作品賞など7部門で候補になり、旋風を巻き起こす(3部門受賞)。

また、出世作「42 世界を変えた男」(2013)では黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンに扮し、「マーシャル 法廷を変えた男」(2017)で黒人初の米連邦最高裁判事を演じたほか、黒人監督とのコンビも多く、映画を通じて黒人の地位向上に努める姿勢は終始一貫していた。

なお、Netflix配信中の「ザ・ファイブ・ブラッズ」、「マ・レイニーのブラックボトム」は、いずれも高評価を得ており、本年の賞レースを左右する可能性もある。

チャドウィック・ボーズマン

画像: 「42 世界を変えた男」 (2013)より

「42 世界を変えた男」 (2013)より

プロフィール

サウスカロライナ出身。ワシントンDCのハワード大学卒業後、イギリスで演技を学ぶ。TVや演劇界での活動は2003年頃から。長編映画初出演は2008年の「エクスプレス 負けざる男たち」。2013年のジャッキー・ロビンソン、2014年のジェームズ・ブラウンの伝記映画で注目される。

主な出演作品:「42 世界を変えた男」(2013)、「ジェームズ・ブラウン 最高の魂を持つ男」(2014)、「マーシャル法廷を変えた男」(2017)、「ブラックパンサー」(2018)

第6位 ヒース・レジャー

今なお語り継がれる怪演で映画史に名を刻んだ個性派アクター

1979.4.4-2008.1.22

単独映画も大ヒットしたバットマンの宿敵ジョーカー。その人気を決定づけたのが、「ダークナイト」(2008)のヒース・レジャーだ。だが、その鬼気迫る演技が世界に衝撃を与えた時、彼は既にこの世を去っていた。

10代でデビューしたヒースは、20歳でハリウッドに進出。「恋のからさわぎ」(1999)、「ROCK YOU! ロック・ユー!」(2001)などで人気を得るが、それに安住せず「ブロークバック・マウンテン」(2005)で男同士の許されざる愛に苦悩する主人公に挑戦。これでオスカー候補になった後、掴んだのがジョーカー役だった。

全世界注目の中、ヒースは出演予定の作品を降板した上、数か月に及ぶ役作りを経て撮影に臨む。ところが、2008年1月22日、医薬品の過剰摂取により28歳で事故死。

悲しみの中、映画が公開されると、悪役のイメージを覆す熱演は絶賛され、アカデミー賞助演男優賞を受賞。死後の受賞は、史上2人目の快挙だった。

映画も記録的ヒットとなり、その活躍が以後のアメコミ映画ブームを生んだと言っても過言ではない。とはいえ、「一世一代の演技」と呼ぶには、あまりにも早すぎる死だった。

ヒース・レジャー

画像: 「ブロークバック・マウンテン」(2005)

「ブロークバック・マウンテン」(2005)

プロフィール

オーストラリア・パース出身。幼い頃から地元の劇団に所属し、17歳でシドニーへ移住。1997年に端役で俳優デビュー後、TVや映画に出演し国内での人気を獲得する。アメリカに渡りTVシリーズ「Roar」に出演後、1999年に「恋のからさわぎ」でハリウッドデビューを果たす。

主な出演作品 : 「パトリオット」(2000)、「ROCK YOU!ロック・ユー!」(2001)、「アイム・ノット・ゼア」(2007)、「ブロークバック・マウンテン」(2005)、「ダークナイト」(2008)

This article is a sponsored article by
''.