今回70回目を迎えた『SCREEN映画大賞』。その長い歴史の中では、日本の洋画ファンが愛したスターや人気作の移り変わりがはっきりと見えてきます。オードリー・ヘプバーンが彗星のように登場した1950年代から、アメコミ超大作が人気の2020年代まで、70年間の変遷を振り返ってみましょう。
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オードリーやドロン、マックィーンが絶大な人気を誇った時代

SCREEN(当時は『スクリーン』)での読者選出によるベストテンが始まったのは1951年。戦争が終わってまだ5年しか経っていない時期で、連合軍の外郭団体であるセントラル映画社がアメリカ映画を一手に配給していた末期だった。1941年末からアメリカ映画の輸入は止まっていたので、この頃はハリウッドの新旧作品がランダムに公開されていた。

50年代はゲイリー・クーパー、ジョン・ウェイン、イングリッド・バーグマン、ヴィヴィアン・リーといった戦前からの大スターが人気で、作品的にもハリウッド映画が強かった。

オードリーの鮮烈なハリウッド・デビュー作『ローマの休日』(1953)

1950年代 オードリーの登場

「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーンが登場したのが1953年(日本公開は54年)、初主演でアカデミー賞主演女優賞に輝き、以降の人気を決定づけた。SCREENのベストテンでも初登場で女優部門一位となり、作品部門でも三位に入る人気ぶりだった。

その中で特筆すべき点として、オードリー・ヘプバーン、ジェームズ・ディーンら、新しい世代のスターの登場が挙げられるだろうが、ディーンはわずか3作の主演作を残しただけで夭折、いまも伝説のスターとして愛され続けている。オードリーはその後も長く人気を保ち、引退後も、さらに死後も、現在に至るまでベストテンの常連であるのはご承知の通りだろう。

60年代に入ると「太陽がいっぱい」(1960)でアラン・ドロンが、「大脱走」(1963)でスティーヴ・マックィーンが人気を博し、70年代までこの二人は二大スターの位置を保った。

『大脱走』(1963)のスティーヴ・マックィーン

画像: 『太陽がいっぱい』(1960)のアラン・ドロン

『太陽がいっぱい』(1960)のアラン・ドロン

1960年代 ドロンvsマックィーン

フランスから「太陽がいっぱい」で二枚目のアラン・ドロンが現われ、ハリウッドからは「大脱走」でアクションスターのスティーヴ・マックィーンが登場。この二人はSCREENの人気投票では常に好敵手的存在で、70年代までベストテンのトップを競り合った。

また、60年代中盤には“007”シリーズの登場でショーン・コネリーもスターとなり、“マカロニ・ウェスタン”と呼ばれたイタリア製西部劇の流行でクリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマに注目が集まった。

女優ではオードリーが圧倒的な人気を誇っていた。60年代末からはニューシネマが台頭し、ロバート・レッドフォード、ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス、キャンディス・バーゲンら新世代スターが人気を得ている。

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