カバー画像:director photo JA ©EponineMomenceau
オディアール監督自身のモノローグ的作品
今までになかったパリを描いてみたい。前作『ゴールデン・リバー』が西部劇だったから、次は都会を舞台にしてみたい。と、新作の構想を練っていたというオディアール監督。その想いを満たしたのが『パリ13区』だというわけだ。
その心境などを、パリにいる監督にオンラインでうかがってみた。
── パリ13区に蠢く人々、男と女が互いを求め合い、しかし繋がっても孤独感からは逃れられずもがく様が、衝撃的でもあり、厳しくも美しく、モノクロームで芸術的に描かれて圧倒されました。
パンデミックが未だ収束するという見込みも見えない今、多くの人たちが、家族といても、恋人といてもどこか孤独に襲われている日々を送っている中、とても心に刺さる作品です。
それはどうしてなのかと考えたら、つまり、これはパリ13区の人たちだけの話ではない。私たち誰もが、今の時代、同じような何ともどうしようもない孤独感と共に生きていかなくてはならないと思わされたからです。
そして、この作品はオディアール監督ご自身のモノローグ(独白)そのものなのではないでしょうか。
まずは、美しいコメントをいただき感銘を受けました。
そうですね。おっしゃるとおりです。
この作品を観て、今回の4人のうちの誰が、私なのかと問われたことがあります。全員なんです。つまり、登場人物全員が私自身でもある。彼らのように、私も愛への欲望や誰かと繋がっていたい、エロティックな交流もしたいし、それらを心の底から渇望しています。
私という者を描いた作品として観ていただけたら嬉しいです。
孤独であることは、モノづくりに必要
── この作品で描かれた愛と孤独というのは、セットになっていて常につきまとうものだと思うのですが、監督は孤独というものについてはどのようにお考えでしょうか?
今回ノラを演じた(『燃ゆる女の肖像』で主演して多くの賞を受賞、高い評価を得た)ノエミ・メルランさんが、孤独や不安に常にもがいている本作の登場人物たちは、美しいと感じるとおっしゃっていて印象的でしたが……。
そうですね。私は孤独であることが好きです。一人でいる状況が凄く好きです。一人でいるときのアンニュイな気分が。
そして、そういう時は精神が「バカンス」のような状態なんですね。精神が自由な状態でもあるということです。そして、普段はそんな風に一人で孤独であっても、私は映画を通じて世界と繋がることが出来ます。まず脚本家との交流があります。その後、脚本を元にチームを作り、そして映画を作ります。映画が出来たら、今度は観客の方々との出会いもありますね。そして、その映画の仕事が一段落したら、私はまた孤独である、一人に戻るんです。
── 素晴らしいですね。孤独であることは映画づくりや、モノづくりには必要なことなんですね。
おっしゃるとおりですね。モノづくりに孤独であることは必要かと思います。ただ、それは誰かから孤独を強いられるようなものであってはならない。私の場合は、自分の確たる意思によるものであるので、孤独は必要なものになります。
パンデミックの中での撮影は、特別の時間に
── この作品は、メルランさんもおっしゃっているように、パンデミックの中で暮らす、今の私たちの孤独を少しだけでも癒してくれて、孤独と向き合う勇気を与えてくれたり、不安を和らげてくれ、生きよう、愛そう、恋をしようという気持ちにもしてくれるんです。
パンデミックになったからこそ、このような作品をお作りになったのでしょうか?
構想を重ねている頃は、まだパンデミックにはなっていませんでした。徐々にパンデミックとなり、いざ、撮影という時にロックダウンになったんです。そういう異常状態の中で、俳優同士が出会い、人と人が出会うということ事態に特別感が生まれ、特別な瞬間を生きているんだという熱情が高まったり、それまでに味わったことがないような、特別な感情が湧きあがる瞬間もありました。
そしてロックダウンが解除されると、マスクを外し、また自由が戻り、そしてまたロックダウンになり、マスクをしてという、そんな異常な、非日常的な状況で映画は作られて行きました。
── そうだったんですね。そういう危うい日々の中で完成した作品だからこそ、今なお収束しないパンデミックの中で、多くの人に励ましとなる映画なんだと思います。
そういう役に立つ存在になるなら、大変嬉しいことです。