「5月」という名の、三人の監督たちがめざした初長編作品
「学び」としての新しい表現の研究と実践に取り組むのが、東京藝術大学大学院映像科の佐藤雅彦教授の研究室(2006~2021)であった。佐藤教授はNHKの革新的な子供番組などを手がけ注目されてきた。関友太郎は、NHKのドラマなどを手がけるTVディレクターであり、平瀬謙太朗はメディア・デザイナーとして活躍中で、各氏共に多くの受賞歴を持つ精鋭である。
「c-project」と命名したカンヌ国際映画祭へのアプローチをめざした「佐藤研」の映画づくりは、2014年に短編作品『八芳園』、次いで、2018年『どちらを』を制作、みごと短編コンペティションの正式招待作品として出品に成功させている。2021年には、『散髪』が、クレルモン・フェラン短編映画祭の国際コンペティション部門に正式招待され、実力を発揮する。いずれの作品も、静謐でクオリティの高さが全編に溢れている。
最新作となる本作、長編映画『宮松と山下』は監督が三人だったから、さらに主演が香川照之だったからこそ、期待以上の完成に至ったと語る。そのこだわりや熱量の多さを語る三人は極めて饒舌で、作品から醸し出される寡黙さ、ストイックさ、静謐さとは真逆であることが、実に興味深いものだった。
エキストラ俳優・宮松のミステリアスな生き方
『宮松と山下』は、香川照之演じる名もなきエキストラ役者を、定点観測するかの様な、彼の暮らしと人生の断片が描かれていく。宮松はエキストラ俳優として時代物、やくざ物、手当たり次第に演じては毎回殺され、毎回画面から消されていく。それでもまた息を吹き返し、別の男になっては斬られる、射られる、撃たれる。そういう毎日が続く。それで食べていけるわけでもないのに淡々とその仕事に徹している。毎回、違う男になり、あたかも本当の自分がどこにいるのかには無頓着でいたいような描かれ方である。
その彼の生き方を反映するかのように、説明など極力排除した演出と撮り方で、エキストラを演じている「彼」と、私生活の「彼」が、ONとOFF「入れ子」のように展開して、観る者を幻惑し驚かせ、楽しませる。映画本来の持つ、観る側の想像力を全開にしてくれる作品で秀逸だ。
そんな「平和」にも見える日常に事件が起きる。かつての同僚だったという男が登場する。いったい宮松は何者なのか? ミステリアスな男の人生が徐々に解き明かされていく。
演じる香川照之は、エキストラの男の、孤独と寡黙を顔の表情や細かな身体の所作で余すところなく表現し、観る者を飽きさせることがない。
三人の監督が「一つの個性」となって、進める映画づくり
── さっそくですが、どうして監督が三人だと良い映画が撮れるのでしょうか? 例えば、タイトルを『宮松と山下』と決めるのも三人でなさったりしたんでしょうか?
平瀬:そのことについては、本当によくご質問いただきます。三人で作れるのかと。どうやって意思統一をするんだっていうことを聞かれるんです。
私達は研究室で寝食を共にして頑張った2年間がまずあり、さらにその後、この活動を始めて10年以上にもなりますが、1回の打ち合わせで4、5時間は話し合っていて、そんな打ち合わせが週に何回かあります。それをずっと続けてきました。つまり、ここまでで、何千時間という時間を、三人で過ごしてきています。
── そうなんですね、素晴らしいです。
平瀬:そこまでくると、ものすごくお互い理解が深まってきていて、互いが何を考えてるかとか分かりあえます。何より、個々の三人が集まってるというよりは、三人で「一人の人格」と、そう思えるぐらいまで、監督として「融合」してきているというか……。そういうことが前提としてあるんじゃないかなと思います。
よく映画を作るときは、映画監督の強い個性で作られていると思われますし、私たちもいろいろな映画祭で、その個性がぶつかり合って崩壊しないのかって聞かれるんですが、それは、三人の中の誰でもない「5月」っていう新しい人格が持つ個性なんじゃないかなと思ってます。
佐藤:一つの「個性」ですよね。例えば、企画を出すときとか、三人が一つの個性を持っていると、かなり興味深い現象が生まれたりします。それが、功を奏して、良い企画に繋がってくるのですが、その辺をちょっと、関さんからも話してもらっていいですか?
関:(笑)はい。そうですね、三人でやってて一番良いことは、例えば映画の企画出しをしている時に、頭の中でこのアイディア面白そうだぞと思っているものがあったとして、それを二人に向けて話した瞬間に、よく分かるんですよ。あれ、このアイディア全然面白くない・・・と。
あるいは、全然大したことのない、駄目そう案だけどっていうのが、話してみると、これは面白くなるかもしれない!とわかるんです。不思議なぐらい、口に出した瞬間に分かるんですね。
佐藤:返事を貰う前に分かってしまう。
関:そうなんですよね。
頭の中にあるアイディアを口に出すことで、良いか悪いか、すぐわかる
── え? 返事をもらえていないにもかかわらず、分かるんですか、何もしない前に分かる?
佐藤:二人から返事を貰わない前に分かるんです。反応をもらう前に、二人に話した瞬間に、(答えが)もうわかるんです。それがすごく面白いんですよ。
── なるほど。
関:で、やっぱりアイディアって頭の中にあるときは、期待も込めてというか、これ面白いんじゃないかって、ずっと自分の頭にあるわけですけれど、やっぱり頭の中にあるままじゃ意味がない。それを外に出した瞬間になぜか自分でも分かるんですよね、これ面白い、あるいはつまらないっていうのが。
で、それはやっぱり同志が三人いるからできることでもあるし、もっと言うと、この三人だから、わかるのかもしれません。
口に出した瞬間分かるっていうのは、映画の根本の企画もそうですし、編集作業の、一つのカットの選び方についてもそう。大きいものから小さいものまで全部そうなんです。
── 瞬時にわかるとは、凄いです。
関:これもよく聞かれることなんですけれど、意見が違ったり喧嘩になったりしないんですか?と。それで言うと、もちろん意見が違うというか、考えが違うことは、たくさんあるんです。
でも、違うということよりも、三人が「これ面白い!」とわかる瞬間があって、その瞬間を積み重ねていっている、という印象の方が圧倒的に強くて。それがまあ、三人で一つの人格みたいなところにも繋がってるかなと思っています。
── わかります。
関:それこそ一番最初に作った短編映画『八芳園』でも、その時のメンバーは自分の同期が四人と先生含めて、五人でやっていまして、いくつもアイディアを出したんですけれど、決定打に欠けるというか、これで作ろうっていうようにはならなくて。
でもある日、100以上のアイディアを出した後に、一つだけ、言った瞬間に、みんなが「これだ!」ってなったアイディアが出たんです。そういう体験がベースにあって、そこからずっと、今までやってきている感じがします。
── なるほど、なるほど。一人で考えているだけではなく、自分以外の仲間に口に出すことが、いかに重要か、なんですね。
佐藤:何かこれは不思議な体験なんですけれど、自分の内の概念と、それを外在化したときの概念、要するに客体化した概念っていうのはやっぱりこう、自分がそれを見る目が違ってきますよね。
自分の中ですごく面白いと思っているアイディアでも、一度、言葉にして外在化させたときに、何だこんなにつまらなかったのかとか、自分の中では全然面白くないと思ったものも言語化して外在化したときに意外と面白いものだったり。
他の人とでも、ある手順で時間をかければ、それはできると思うんですけれど、この三人だとそれが瞬時にできるんです。
── 瞬時に!? それは凄いことです。
佐藤:その体験は今、関が言ったように、五人で(カンヌ国際映画祭へ向けての映画づくりをめざす)「c-project」を立ち上げた時、出品作品となった短編『八芳園』の関のアイディアが、「あの同じサイズで、あの結婚式の、あの集合写真を撮る」って言った、もうその瞬間ですよ。みんなが「いい!」、そして次に「撮ろう!」となったんです。
── 『八芳園』面白いです。結婚式での人々の顔だけで映画が出来るんですね。
佐藤:その合意形成の体験がすごいなと思って、これで、複数で集まっても一つの「個性」で(映画づくりが)できるなと思ったんですね。
例えば、映画監督のダルデンヌ兄弟とか、コーエン兄弟なら、小っちゃいときから阿吽の呼吸で相手の返事を待たずとも、良いか悪いか通じ合えるかもしれないですが、我々は他人同士です。私の研究室に一緒にずっといたっていうことが良い影響を与えているのか、どうかは分からないんですけれど、すごく上手くみんなが機能してて、それが一つの個性になったんです。