「Dr.コトー診療所」は東京から僻地の離島に赴任してきた外科医“Dr.コトー”こと五島健助の奮闘を描いたドラマシリーズです。医療ヒューマンドラマの原点として語り継がれ、今なお人々に愛されています。そんな人気シリーズが16年ぶりに映画『Dr.コトー診療所』として新たな物語を紡ぎました。蒼い空と美しい海に囲まれ、雄大な自然を内包する島で、今もなお、そこに生きている人々。時を経て変わるもの、変わらないもの、そして何よりも尊い“人と人とのつながり”を丁寧に描いています。公開を前にドラマシリーズでも演出を務めた中江功監督にインタビューを敢行。主人公を演じた吉岡秀隆さんについて、作品のテーマなどについて語っていただきました。(取材・文/ほりきみき)

必要のないときは存在感を消すことができる吉岡秀隆

──前作の放送から16年の時を経ての映画化ですが、コトー先生の白髪に驚きました。

今回、多くの方がポスタービジュアルのコトー先生の白髪に驚かれるのですが、吉岡(秀隆)さんの地毛に少し黒を入れています。この16年間に僕は吉岡さんと何度も顔を合わせていて、髪が少しずつ白くなっていくのを見ていたので、違和感はなかったです。

──「Dr.コトー診療所」シリーズは今なお人気があります。コトー先生が多くの人から愛されているのはなぜだと思いますか。

吉岡秀隆という存在が大きいと思います。それ以外に考えられない。「彼がいるからやるよ」と他の役者も集まってくれています。俳優・吉岡秀隆であり、みんなから「コトー先生」呼ばれる五島健助の存在が人を惹きつけているのでしょう。

画像1: ©山田貴敏 ©2022映画 「Dr.コトー診療所」製作委員会

©山田貴敏 ©2022映画 「Dr.コトー診療所」製作委員会

──監督にとって、吉岡秀隆さんはどのような存在なのでしょうか。

声を荒げて主張するわけではなく、淡々としていながら、ちゃんと自分の位置がわかっている。独特な存在感があるのですが、必要のないときは存在感を消すというすごく不思議なスイッチを持っています。周りのことをよく見ているものの、周りの人によって左右されることがない。根がしっかり張っているのに漂うのがうまい。

「なるほど」と思うことに、他の作品をやってから気がつくのです。撮影で毎日一緒にいて、台本の話などをすると、「そういう読み方があるのか」とか、「このセリフをこういう風に考えるんだ」と勉強になりました。僕より若いのですが、教えられることの方が多かったですね。

「Dr.コトー診療所」を始めた頃、吉岡さんは30代半ばでしたが、そのときにはすでに黒澤明さんや山田洋次さんの作品に何本も出ていて、フジテレビの杉田成道監督との「北の国から」が終わって、次のステージに行こうとしていた。尊敬する役者さんを聞けば、渥美清だという。当時、そんな30代はいませんよ。ちょっと経験値が違い過ぎましたね。その頃からすでにでき上っていましたが、今は許容が増えて、更に懐が深くなった気がします。

画像2: ©山田貴敏 ©2022映画 「Dr.コトー診療所」製作委員会

©山田貴敏 ©2022映画 「Dr.コトー診療所」製作委員会

──吉岡さんとは早い段階から映画化について話をされていたのでしょうか。

いろいろ雑談している中で、「Dr.コトー診療所」の続編ドラマ化、映画化についても話題になったことがありました。最初のうちは「ぜひ、やろう」ではなく、「話がまとまったらやろう」くらいの感じでしたけれどね。

本格的に映画化の話をしたのは2〜3年前です。彼は“面白そうだ”とか、“とりあえず一回やってみよう”というタイプではありません。彼にやってもらうなら、今だからこそコトー先生をやるべきテーマがほしい。脚本家の吉田紀子さんともかなり前にお会いして、“やるならこんな話がいいかな”といったことは話していたのですが、なかなか“絶対的にこれ”という案が出なかったのです。

どんなことがあっても生を完うしなくてはならない

──監督ご自身の中では「Dr.コトー診療所」の映画化についてどのように考えていらしたのでしょうか。

どこかで集大成をやらないといけないという思いはありました。2006年に放映された連続ドラマがまだ続く感じで終わっている気がしていたのです。

吉岡さんの身体に五島健助が染み付いていて、それをこのまま放置していいのかと感じたこともありました。“いつかまたコトー先生をやるのかな”と身体の中に五島健助の魂を持ったまま、これからも他の役をやっていくのは役者として大変なのではないか。始めた責任として、いったん区切りが必要だと思っていたのです。

コロナで身近な人を失ったことも大きかったかもしれません。みんな変わらないといいつつ、それぞれ年齢を重ねて、レギュラー陣もいい歳になりました。身近な人を亡くしたり、病気になったり、苦しいことを経験したと思います。筧さんと仕事をしたときに、「早くやらないとみんな死んじゃうよ」と言われて(笑)このメンバーでできるうちにやっておきたいという気持ちもありました。

──このタイミングでの映画化には、何か監督の背中を押すきっかけのようなことがあったのでしょうか。

来年ではダメだったのかと言われれば、そんなことはなく、10年目でやらなかったのは何故かと聞かれても、絶対的な理由はありません。コトー先生を尊敬し、医者を目指した小学生の原剛洋がコトー先生から「僕は待っているよ」と言われながら島を離れて東京に行き、医学部に入って、研修を経て、一人前の医者となったくらいの時間が流れました。コトー先生が島に来て20年が経ち、剛洋がコトー先生との約束を果たして島に戻る年齢というのも含めて、タイミングとして、今、映画化するのがいいのではないかと思ったのです。

剛洋を演じた富岡涼くんは芸能界を引退していましたが、吉岡さんや柴咲コウさんたちが「剛洋は富岡涼くんだよね」というので、連絡を取ってみました。本人の気持ちがいちばん大事ですからね。連絡をもらって会いに行ったところ、会社員になっていましたが、「やりたい」と意思を示してくれ、僕とプロデューサーが会社にご挨拶をして、仕事を休ませていただき、出演してもらいました。

──先程「コトー先生をやるべきテーマがほしい」とおっしゃっていましたが、その点ではいかがでしょうか。

医療モノのテーマはほとんどやってしまいましたし、世の中に医療ドラマは沢山ある。終末期医療についてやろうという話もあったのですが、それもすでに他でやっている。では、どうするか。

「Dr.コトー診療所」はコトー先生が診る、病気になった患者の家族の物語でした。逆に、コトー先生に何か起きたときに家族同然になった島民や実際の家族はどう対処するか、何があっても人は生きていかなきゃいけない、ということをテーマにするのがいちばん身近な話ではないかと思いました。

生きているといろんなことが起きる。生きたくても生きられない人がいるのだから、どんなことがあっても生きている限りは受け入れ、生を完うしなくてはならないということを僕自身がコロナ禍に強く感じたことをベースにしました。

画像3: ©山田貴敏 ©2022映画 「Dr.コトー診療所」製作委員会

©山田貴敏 ©2022映画 「Dr.コトー診療所」製作委員会

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