「電波少年」シリーズでは人気バラエティー番組を演出・出演。欽ちゃんのドキュメンタリー映画では監督も務めるなど、今なお幅広い活躍をしている、伝説の「Tプロデューサー(T部長)」こと土屋敏男さんが、幾多のTVドラマから映画を紐解くおすすめのお話などや予測不可能な未知なお話等、テレビと映画がこれからどうなっていくのか?を中心にさらに熱く、紹介していきます。今回はもうすぐ開催されるアカデミー賞についてです、お楽しみに。

土屋 敏男
日本テレビ社長室R&Dラボ社外アドバイザー。ひまわりネットワーク(株)アドバイザー。WOWOW(株)新規事業アドバイザー。みんなのテレビの記憶(同)代表社員。Gontents(同)代表社員。1964TOKYO VR(社)代表理事。

今年もアカデミー賞の季節がやってくる!

毎年アカデミー賞作品は、発表の後見る事にしているのだがどのくらいから見ているのか遡って調べてみた。多分リアルタイムで見ているのは1973(1974に受賞)年『スティング』あたりからか?1965年の『サウンド・オブ・ミュージック』は大好きな映画だが10歳で見ているとは考えられず再々再々上映が静岡の名画座に来たときに見たのだと思われる。

となると「アカデミー賞発表!」のニュースを聞いて映画館に行くという行動を取り始めて50年以上になる。1977年『アニー・ホール』とか1994年『フォレスト・ガンプ/一期一会』など大好きな作品が並ぶが最近の記憶でダントツぶっちぎりなのは2021年『ノマドランド』。

この原稿を書くのに思い出してU–NEXTで2年ぶりに見たのだが本当にいい映画! 派手さは一切ないからいわゆるハリウッド映画! というイメージからはかけ離れていて多分僕もアカデミー賞を取っていなかったら見ていなかったかもしれないという映画だ。

でも改めて言えば『これが今のアメリカ!』を優れて切り取っていることは間違いなく、そしてこの作品がアカデミー賞を取ることがアメリカの映画人たちがこの賞に対していかに真摯に向き合っているかの証明になっているのではないかと思う。大スターが次々と出ている訳ではない。お金のかかったCGが使われている訳でも無い。ニューヨークもロスも大都市は全く出てこない。出てくるのはAMAZONの巨大配送所と荒地に集うノマドの人々。

しかしまさにこれが2021年のアメリカだ!

しかし格差を声高に批判するのでなく淡々と今のアメリカ人がいかに生きるかを問う。印象的なのは何度も出てくる日暮れの夕日。中年から老年に差し掛かる主人公の人生の日暮れでありアメリカ自体の日暮れでもあるのだろう。

監督もアジア系で長編3作品目というクロエ・ジャオ。しかも作品賞・監督賞・主演女優賞のアカデミー賞 3部門制覇だ!

こうしてアカデミー賞への世界の映画ファンからの信頼はさらに揺るぎないものになったのだと思った。

\アカデミー賞とは? /※ノミネート作品は2021年の情報です

果たして映画やテレビは何のために作られるのか?

アカデミー賞の前に改めてそんなことを考えてみる。

一つは映画会社やそれに関係する人たちにとって「利益を上げるため」というのは確かにある。だから普通に『全米興行収入No.1!』という冠は映画業界にとって大きな冠だろう。

しかしその冠と同時存在するアカデミー賞が「映画は興行収入だけを目的にしているものではない!」と指し示していると言える。

映画人たちがこの1年に作られた映画の中からアカデミー賞に選ぶ作品とは「いかに世界を表現しているか?」であり「その作品が作られたことは世界のためになっているか?」なのだ。アカデミー賞の結果に世界が注目し、その結果に世界中の映画ファンが動くということが「映画が何のために作られるのか?」という答えを示している。人間は今現在の世界を理解したいし捕まえたいと思っていて、それを映画がしてくれると信じている。それをこの1年で一番優れていると思える作品がアカデミー賞受賞作品だと信じている。

そんなことを考えて自分がいる〝テレビ〞という業界にアカデミー賞にあたるものがないと改めて思う。正確に言えばなくはない。僕が審査委員をしている放送文化基金賞やギャラクシー賞なんてものもある。しかし世間が注目しているかといえばアカデミー賞に匹敵するものはやはりテレビ界にはない。だからテレビ番組の冠はいつまで経っても視聴率という数字だ。映画でいう興行収入だけが評価軸になってしまっていることが本来の「テレビ番組が何のために作られているのか?」をボヤけさせている。そしてそれは日本の映画に関しても日本アカデミー賞の結果よりも「ただ今大ヒット中!」という惹句が効いてしまう日本人という存在にも気が付いてしまう。

みんなが見ているものは見ておかなくてはならない、と思ってしまう日本人。

それはみんながマスクをしているから外すことはできない。国が外すことを決めてくれないといつまでも外せない! と言っている今の日本人にダブって見えてきてしまう。

みんなが見ている、という評価軸は一般人=素人の評価が高いと言い換えることができる。一方アカデミー賞はプロの評価の高さであり、それを一般人が評価軸として認めているということだ。

日本人はプロの評価軸が合わないのか? と思ったら、M1だ! M1は漫才へのプロの評価を認めているのだから無くは無いはずだ!

日本版エミー賞を作らなくてはならない! というのは初夢だろうか?

前回の連載はこちら

This article is a sponsored article by
''.