武家育ちでありながら、今は貧乏長屋で質素な生活を送るおきくと、古紙や糞尿を売り買いする最下層の仕事に就く中次と矢亮。わびしく辛い人生を懸命に生きる三人は、やがて心を通わせていく。『せかいのおきく』は主人公に黒木華、寛一郎、池松壮亮を迎え、最下層から社会を見つめた時代劇です。脚本も担当した阪本順治監督に制作の経緯やテーマの意図、キャストに対する思いなどを語っていただきました。(取材・文/ほりきみき)

いつかはモノクロ・スタンダードで撮ってみたかった

──阪本順治監督にとって初めてのオリジナル脚本での時代劇ですね。制作経緯を教えてください。

いつも美術監督をお願いしている原田(満生)さんが『YOIHI PROJECT』というプロジェクトを立ち上げました。これは100年後の地球に残したい「良い日」を「映画」で伝えるというもので、原田さんから「まずは江戸時代のサーキュラーバイオエコノミーにまつわる映画をやりたい」と言われたのです。自分にはそんな啓蒙的な作品は撮れないと思いましたが、江戸時代の日本では糞尿を畑にまき、野菜を作り、その野菜が人の口に入り、また糞尿になるという循環型社会が成立していたと書かれている企画書を読み、低い視座から、しかも汚いところから社会を眺める映画ならやれるかもしれないと思いました。

ちなみに「YOIHI PROJECT」の「YOIHI」 は「よーい、はい」でもあるんです。内々の話ですけれどね(笑)。

画像: 阪本順治監督

阪本順治監督

──本作はモノクロでスタンダードサイズ。ちょっと驚きました。

いつかはモノクロ・スタンダードで撮ってみたいと思っていました。しかし現代劇をモノクロで撮ると際立ってしまい、狙いで撮っているみたくなる。それはそれで作家性の1つですが、時代劇なら、それが作家性の強い狙いではなく、観客にさらりと享受してもらえるだろうということが大きかったです。

──最初に最終章の短編を撮影したと聞きました。

3年前に『第七章 せかいのおきく』を撮り、パイロット版としていろんな人に見ていただいて出資を募ったのです。そして、2年前にもう1本、『第六章 そして舟はゆく』も撮ったのです。そこでようやく長編を撮る目途がつき、黒木華さん、寛一郎くん、池松壮亮くんのスケジュールを確認して撮影の予定を立てて、過去のパートの脚本を遡って書き足しました。(佐藤)浩市さんや(石橋)蓮司さんには「出番があるので空けておいてください」と電話をし、大部屋の方も名前と顔がわかる人をあて書きで書きました。

『第七章 せかいのおきく』で“おきくは話せない”という設定にしていたので、なぜ話せなくなったのかを後から考えました。そんな脚本の書き方はこれまでで初めて。この作品は少し異例のプロセスを経ています。

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