“家族とは何なのか”。23年前に土星から調査に来て、地球人に成りすましていた宇宙人が妹、弟にその事実を告白し、事情を知っていた兄も含め、みんなで残された時間を家族として奮闘する。映画『宇宙人のあいつ』はドラマ「REPLAY & DESTROY」(2015年)の緩いノリで中村倫也、伊藤沙莉、日村勇紀、柄本時生が4兄妹弟を演じたハートウォーミングなコメディです。企画を立ち上げ、脚本を書いた飯塚健監督にキャストや作品に対する思いを語っていただきました。(取材・文/ほりきみき)

誰かが本気で芝居を語り始めれば、すぐにギアを合わせていく

──長男の夢二を日村勇紀さん、末っ子の詩文を柄本時生さんが演じています。

日村さんはけっこう早く決まりました。高知でのシナリオハンティングで四万十川を見た帰りの車内でふと思いついて、柴さんに提案しました。

画像: 夢二(日村勇紀)

夢二(日村勇紀)

夢二と想乃の間に日出男が入るのですが、普通の幅間で4人が揃っているようにしたかったので、夢二はあのくらいの年齢(40歳)にしなくてはなりません。もちろん日村さんの実年齢ではないですけどね。キャスティングをする前から夢二は書いていましたが、日村さんに決まってからは「このセリフをこんな風に言ってほしい」とあて書きした部分もたくさんあります。

画像: 詩文(柄本時生)

詩文(柄本時生)

最後に決まったのが時生くん。一緒に仕事をしたことはありませんでしたが、焼肉屋さんで何度か会ったことがありました。上の3人に混ざれるだけの演技力と血の流れが感じられることが決め手です。

──4兄弟という設定はシナリオハンティングの前から決まっていたのですね。

企画を始めたときから「家族とは何かを知る」ということをテーマにして、4人兄弟の話にすると決めていました。4人といっても1人は後から加わった土星人ですから、本来は3兄弟です。物語を3兄弟で進めると、地球人が2人になってしまう。直感的なことで特に理由はないのですが、残るのは3人の方がいいと思い、夢二、日出男、想乃、詩文の4兄弟にしました。

画像: 誰かが本気で芝居を語り始めれば、すぐにギアを合わせていく

では、家業は何? 誰が演じたらいいか? そういったことを考えていく中で、家族の誰かにいいことがあったときや節目の日に外食するものとして焼肉はイメージしやすいのではないかということで、焼き肉屋の設定にしました。焼き肉屋をやっていると、自分たちは一緒に夕飯を食べることができません。だから何があっても朝食は一緒に食卓を囲むという家にしたい。大事なことは朝食のときに話す習慣があるとしたところ、あの家庭ができていきました。

──毎朝の納豆リレーが印象に残りました。

朝食シーンは脚本に「どんぶり納豆を回して、受け渡すようなメニュー」「“生きるために食べる”を知っている食べっぷり」とト書きをつけました。どんぶり納豆を回して受け取るメニューと鮭・生卵があるメニューでは役者の動きが全然違います。どんぶり納豆で何をするんだろうなと思っているところに、「夢二がかき混ぜて、隣に回していく納豆リレーをしてくれ」と言ってやってもらいました。「いただきます」を言った後、納豆が回ってくるまで喋らないというのは演出です。詩文が「俺、今日はいいや」と言うと、夢二が注意する。家族なら健康や栄養のことを気にしますからね。「ちゃんと食べているのか」と田舎の両親がいうのはそういうこと。これで夢二が親代わりだということが伝わります。

ただ、納豆を食べながら芝居をするのはかなりの対応力が必要なんです。しかも、あれだけの量のセリフを喋りつつ、動線もけっこうついているので、シーンとしては非常にややこしい。カットインが入るまでの長尺は1つの回線で撮っていかなくてはいけないので、俳優部はかなり達者な人でないとやりこなせません。

──それができる4人だったのですね。撮影はスムーズに進みましたか。

基本的なことはすべて脚本に書いてあり、動線をつければ、そこにアジャストしてくれる。ここで何をしておかないと次のシーンのこれができないという字面では書かれていないところもちゃんと読み取ってくれる人たちなので、ありがたかった。しかもその場でバンバン動きをつけられても対応できる。現場は止まることなく、スムーズに進んでいきました。

しかも、メインの4人はみんな、ギリギリまでそれぞれの速度感でほかのことをやっているのですが、誰かが本気で芝居のことを言い始めたら聞ける体制でいて、すぐにギアを合わせていく。それを眺めているのは非常に楽しかったですね。

よく「ここアドリブですか?」と聞かれることがあるのですが、アドリブはそう簡単には発生しません。芝居の糊代を脚本に書いてある以上にカメラを回わしていたら、ひとこと言うくらいですね。それにしてもその場凌ぎでぽんと出てきた言葉がスクリーンに残ることはほとんどありません。脚本にないことを役者が勝手に言うことなど本来あり得ないんですよね。

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