自らノン・バイナリーであることを公言する、キヴォロン監督の作品に賭けた想いをたっぷりとうかがうことが出来た。
感情表現は身体と筋肉で演じる
──ジュリーさんは、演じることは初めてだったわけですが、演技指導はどのようにしていきましたか?
会った時のジュリーは、ジュリアのように始終苛立っているというようなキャラクターの持ち主ではありませんでした。怒りの表現としての叫び方や、身体の使い方を理解してもらいました。身体の動きで感情を表すこと、筋肉の使い方までです。
──ジュリアは男顔負けの勇気をふるい、バイクで仲間の男たちと競おうとしたり、馬鹿にされないように腕を磨いて鼻を明かそうとする日々を送っています。そして知らず知らずに、仲間の男たちのやっている事に巻き込まれていくわけです。
ただ、本作は、はねっかえりの若い女性の生態を描いたのではなく、その生き方に監督の深い意味を埋め込めた作品だと捉えました。
つまり、彼女の生き方は、監督の生き方そのものではないかと。
女性は長い間、男性社会に圧迫されてきましたよね。確かに映画の世界でも、女性は男の目にさらされる存在であるということが言えると思います。
強い女性が描かれるということは多くはなかったでしょう。
時代的には、女性がトラック運転手とか、飛行機の操縦士などになっていますが、FIレーサーなどでも、イタリアなどでは女性だと最高ランクの枠には入っていないんです。どうしても未だに男性優位の社会であることは事実です。
ですから女性はこれからも、男性以上の能力を求められるということにもなるでしょう。
そういう中にいて、私自身は、ノンバイナリーでありたいし、ジェンダー・フリーで生きていきたいのです。
自分を女性であると意識をして男性と競うというよりも、世間でいう女らしさという基準に合わせることなく、それを裏切るような動きをしていきたい。
自分らしくあるための闘いをしていくと思います。クリエイティブであることは、動くことです。流動的に動いていきたいです。
例えばフィクションを作っていても、そこに別の世界が生まれるような。
“クィア”と言われるような存在について映画で描く
──そういう強い想いの生き方があるのですね。
そもそも、私は私が選んだわけでもないのに、女性の身体で生まれて来ました。
男の兄弟がいましたが、女の私にはさせてもらえなかったことが多くて、そういうフラストレーションを抱えて育ちました。
今回の作品にも、確かにそういうフラストレーションが込められているかもしれません。
そういうフラストレーションは、個人的なことだけでなく、社会や政治が起因していることもあるかもしれません。
この映画では身体というものが中心で描かれていると思います。
──はい、そうですね。身体の動き。
そもそも身体って、例えばコロナウイルスもそうだと思いますが、決まり切ったシステムの中に入り込むと、生きるためにそれまでの身体に変容をもたらしていく。ウイルスだってクリエイティブな面を持った存在だと、私には思えるんです。
映画の中でジュリアもカメレオンのような存在で、自分も変わるし、相手を変えてもいくクリエイティブな存在です。
どちらにせよ、女と生まれた者が世界中で死んだり、殺される確率は今も高いです。同時に、有色人種も同じように亡くなる危険性が高い。
そういう“クィア”と言われるような存在について、今回の作品に描かねばと思いましたね。
──深いですね。監督にしかできない作品です。
思うのですが、ジュリアは堕天使のような存在に思えました。
ドミノという男に支配されていた女性と子供に救いの手を差しのべる。そのために生きるというか、自分が何者かを確かめるために。
ですから、本作はファンタジーとしてとらえても良いのかなと。
そうですね。私は自然主義の映画より、ドキュメンタリーの方が好きですし、社会の現実を取り扱っても、それをポエム的に映し出すような、イタリアのネオ・リアリスモのような映画が好きなんです。超自然的といったらいいでしょうか。
夢と現実、生と死に光を当てるような。
映画では終始ジュリアの主観的な生き方を描いています。つまり彼女の見る夢や悪夢を、作品を観ている方々が知らず知らず、彼女の主観に入り込んでいき、彼女と同じに味わっていただけたら嬉しいですよね。
(インタビューを終えて)
肉体は女であるが、そんな性の“区分わけ”で自分を決めつけられたくはないということ。そういうこだわりを作品になぞらえて語ってくれたローラ・キヴォロン監督との40分間。とても貴重なインタビューとなった。
私はインタビューの最後には、「美し過ぎることで、つねに男性たちから、美しき女性ととらえられてしまって来たのでしょう」と、思わず発言。
同席したアントニア・プレジとのコンビネーションは、誰をも圧倒するほどの輝きと存在感があった。
奇しくも、今年のカンヌ国際映画祭では、是枝裕和監督の『怪物』が脚本賞に輝き、加えて「クィア・パルム」なる賞も受賞した。
“クィア”と称されるジェンダー的にも大多数に属さない存在についてのクリエイティビティに光を当てた映画が、『Rodeo ロデオ』であることも監督のインタビューから学んだように思う。
つまり、本作は、女性監督が作った女性を輝かせるための映画という表現ではなく、ノンバイナリーのキヴォロン監督が語った、自分らしく“動くこと”が生み出した特別な映画なのだ。
そして、監督はこれからも動き続けるだろう。映画に自分らしさを込めるために。
第二作目が楽しみだ。
『Rodeo ロデオ』
6月2日(金)より
ヒューマントラストシネマ渋谷、 K’s cinema 、アップリンク吉祥寺 ほかにて公開。
監督・脚本 /ローラ・キヴォロン
出演/ジュリー・ルドリュー ヤニス・ラフィ アントニア・ブレジほか
プロデューサー/シャルル・ジリベール
共同脚本/アントニア・ブレジ
撮影/ラファエル・ヴェンデンブスッシュ
音楽 /ケルマン・デュラント
2022年フランス映画 /105分 /フランス語 /1:2.39 / 5.1ch |/DCP・Blu-ray
字幕翻訳 /横井和子
宣伝デザイン/内田美由紀(NORA DESIGN)
予告編監督/遠山慎二 (RESTA FILMS)
配給/リアリーライクフィルムズ + ムービー・アクト・プロジェクト
提供/リアリーライクフィルムズ
© 2022 CG Cinéma /ReallyLikeFilms