プレイステーション用ドライビングシミュレーター「グランツーリスモ」に夢中だった青年がゲームのトッププレイヤーをプロレーサーに育成する前代未聞のプロジェクト「GTアカデミー by 日産×プレイステーション」(以下、GTアカデミー)に参加し、リアルレースの世界で表彰台を目指す。映画『グランツーリスモ』は実話をベースに、時速320kmで繰り広げられるレース・アクションの過酷な世界を描いている。監督は『第9地区』『チャッピー』のニール・ブロムカンプ。主人公ヤン・マーデンボローをアーチー・マデクウィ、「GTアカデミー」を立ち上げたダニーをオーランド・ブルーム、ゲーマーが通用する甘い世界ではないと思いながらも指導を引き受ける元レーサーのジャックをデヴィッド・ハーバーが演じた。作品に登場するゲーム「グランツーリスモ」シリーズを開発し、本作でエグゼクティブプロデューサーを務める山内一典氏に「グランツーリスモ」シリーズや「GTアカデミー」について聞いた。(取材・文/ほりきみき)

完全にシンクロしているPlayStationと「グランツーリスモ」の歴史

─そもそも「グランツーリスモ」はどのように誕生したのでしょうか。

話はかなり遡ります。

僕は小学校5年生からコンピュータを使っていました。PC文化の黎明期ですね。当時はマイコンと呼ばれていて、初期のマイコンユーザーだったと思います。今でこそビデオゲーム産業は大きくなりましたが、当時はそんなものはなく、自分でゲームを作っていました。しかし、それはあくまでも趣味。仕事にしようという発想はありませんでした。中学に入ると映画制作に没頭し、高校卒業まで続けていました。

その頃、SPEはソニー・ミュージックエンタテインメント(以下、SME)の中にあり、僕は映像を作りたいと思っていたので、SMEに入社しました。アーティストのプロモーションビデオを作るところから始めたいと思っていたのです。

ところが、そのときに見せた僕のポートフォリオや作品の多くがCGやコンピュータで動くものだったので、“こいつはゲームを作らせたら面白いものを作るのではないか”と思われたんでしょうね。ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。以下SCE。※現在のソニー・インタラクティブエンタテインメント)への出向を命じられたのです。そこは自分が望んでいた部署ではありませんでしたが、結果的にものすごい幸運でした。これからまさにPlayStationを立ち上げるところだったのです。本当に小さな所帯で、ハードウェア部隊、ソフトウェア部隊、ビジネス部隊全部合わせても60人くらい。それがワンフロアに収まっていました。

あるとき、上司から「山内、PlayStationを立ち上げる前にゲームを作れ」と言われました。今でこそPlayStationでは数多くの著名なゲームメーカーさんがゲームソフトを作ってくれますが、当時はPlayStationのゲームを作っていただくためにライセンシー(ゲームの発売元)巡りをしていた時代でした。ライセンシーさんにソフトを作って頂かないといけないし、作っていただけたとしても自分たちで様々なゲームソフトのラインナップを揃えなくてはいけない。しかしソフトウェア部隊にいたのはたった3人で、そのうちの1人が新入社員の僕でした。でもそれは僕にとってはチャンスだったんです。もし、ゲーム会社に入っていたら、自分が本当に作りたいものを作れるようになるのは10年後や15年後になっていたかもしれないと思います。PlayStation黎明期のなんでも自分達でやらないといけない会社に入ったから新入社員の僕に好きなものを作らせてくれたのです。

PlayStationがどんなハードウェアになるのかは、スペックを見ればだいたいわかり、どんなゲームが開発可能かも想像できました。そこでパズルゲームからアドベンチャーゲーム、ロールプレイングゲーム、野球のゲームなど、思いつく限り、ありとあらゆるジャンルのゲームの企画書を100本くらい書いて、プレゼンをしたのです。その中に「グランツーリスモ」もありました。

ところがその時「グランツーリスモ」の企画は通りませんでした。、当時社内にいた人たちはビデオゲームのことを詳しく知っている訳ではなかったので、「リアルドライビングシミュレーターって何ですか?」と言われるし、日産やTOYOTAといった自動車メーカーとライセンス契約して実車が登場するというのも、“できたらいいね”といった感じだったのです。

そこで、社内の人達が理解できるレースゲームなら企画が通り、承認を得れば予算がつくと思いました。そこで、キャラクター達が車に乗りレースをするゲームの企画を出しました。それで作ったのが「モータートゥーン・グランプリ」です。これはPlayStationのファーストパーティ(SCE)の品番でいうと1番。SCEが内部制作で作った最初のタイトルです。これで自分にビデオゲームを作る力があることを証明して、その後「グランツーリスモ」に取り掛かったのです。まさにPlayStationの歴史と「グランツーリスモ」の歴史は完全にシンクロしていて、PlayStationを作った久夛良木とは今でも仲良くしています。

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