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子役だったレオの演技にほれ込んだデ・ニーロがスコセッシに推薦
レオナルド・ディカプリオの本格的な映画俳優としての人生は30年前の『ボーイズ・ライフ』(1993)から始まったと言えるだろう。ここでレオはすでにアカデミー賞を2度受賞していた(『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974)で助演賞、『レイジング・ブル』(1980)で主演賞)名優ロバート・デ・ニーロと初めて出会う。
養父と義理の息子という役柄で共演した2人だったが、デニーロはこのまだ無名に近い子役の才能に驚愕し、『タクシードライバー』(1976)や『キング・オブ・コメディ』(1983)などで何度も組んでいる盟友マーティン・スコセッシ監督に「凄い新人がいる。彼に注目するべきだ」と進言したという。
スコセッシも「ボブ(デ・ニーロ)が他の俳優のことをそんな風に褒めることはほとんどないから驚いた」と語っていて、ここがこの3人の関係の出発点と考えると感慨深いものがある。
そのスコセッシが初めてレオと組んだのは大作『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)。莫大な製作費を必要とする大型ドラマで、実現まで何年もかかったスコセッシの野心作だが、その頃『タイタニック』(1997)の大ヒットで売れっ子スターとなっていたレオが主演すると決まったことが功を奏してようやくゴーサインが出たという。それでもスコセッシとレオは予算が足りずに自らのギャラを削ったというが。
この作品で2人に現在まで続く大きな絆ができたことは間違いない。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)のキャンペーンで来日した2人はそれぞれにお互いを称賛しあい、「マーティンと一緒に仕事をするだけで映画への熱い愛情が伝染するんだ」とレオは、以前よりさらにスコセッシを崇めるように。
2度目のコンビ作となったのはレオが設立した製作会社アピアン・ウェイの第1回作品である『アビエイター』(2004)。記念すべき作品であり、失敗できない作品でもあるこの映画を、信頼できるスコセッシに託したいというレオの願いが叶った形だ。
この映画で伝説的人物ハワード・ヒューズを熱演したレオはアカデミー賞主演男優賞候補になり、作品賞、監督賞でもノミネートされ(ケイト・ブランシェットの助演女優賞のほか撮影、編集、美術、衣装部門で受賞)大成功を収めた。
レオと組むことでスコセッシは以前より製作費がかけられるようになったのはメリットで、大作が作りやすくなった。
三度目のコンビ作『ディパーテッド』(2006)はさらに豪華キャストが揃い、レオの他にマット・デイモン、マーク・ウォールバーグ、ジャック・ニコルソンと大物が大集合。
レオは「マーティンは僕の師匠だから、お声がかかった時すぐにOKした」と明かすと、スコセッシは「レオは何もしなくても輝いている」とお褒めの言葉を。
すっかり2人が良いパートナーシップを築くようになった本作で、スコセッシはようやく初のアカデミー賞監督賞を受賞。その以前「マーティンがオスカーを受賞していないなんておかしい!」と憤慨していたレオは我がことのように喜んでいた。