デビュー当時からその類まれな才能を認められ、日本でもあっという間に人気爆発したレオナルド・ディカプリオ。そんな彼に何度もインタビューを重ね長年その成長ぶりを見守ってきた筆者が、常に良い俳優になることを目指してきたレオのビッグスターへの道のりを、知られざる素顔とともに語ってくれました。(文・金子裕子/デジタル編集・スクリーン編集部)
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21世紀になってから次々と大物&奇才監督たちと仕事を

その志を具現化したのが、2001年。27歳にして「いい作品を作るために、製作からタッチしていこうと思った」と、映画製作会社「アッピアン・ウェイ」を設立。

翌2002年には念願だったマーティン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』に出演。ばかりか、長引く撮影によってオーバーした製作費を自身の私財で補填していた。その件について、2002年に「アッピアン・ウェイ」の一室でインタビューしたときの言葉が忘れられない。

「お金の問題じゃないよ。映画界の宝であるマーティン・スコセッシの撮影方法を一日中見ていられるばかりか、出演もできるんだよ。安い授業料だと思わない?」

2000年代は、大物&奇才監督と手を組んでバラエティに富んだ作品に挑戦。まずはイギリスの新鋭監督ダニー・ボイルの『ザ・ビーチ』(2000年)。

次にスティーヴン・スピルバーグ監督の『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)、映像の魔術師リドリー・スコット監督の『ワールド・オブ・ライズ』(2008年)、そして『タイタニック』のケイト・ウィンスレットと倦怠期夫婦を演じたサム・メンデス監督作『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(2008年)など……。

2010年代も快進撃は続く。皮切りは、奇才クリストファー・ノーラン監督の壮大なSFクライム・アクション『インセプション』(2010年)で、高評価を獲得。2012年にはクエンティン・タランティーノ監督との初コラボ作『ジャンゴ 繋がれざる者』で本格的な悪役に初挑戦。

また、バズ・ラーマン監督と再コラボの『華麗なるギャツビー』(2013年)は、レオが『タイタニック』以来、久しぶりに挑んだ究極のラブストーリーとして注目を集めた。プロモーションのためにニューヨークで会ったレオは、39歳になっていた。

「たしかに、ギャツビーは究極のロマンチスト。永遠の女性を求めて生きているのだから。でもこれが究極のラブストーリーかといえば、僕としてはちょっと疑問。彼は貧しいところから這い上がってきた男で、いわばデイジーは成功のステイタスであり……」

アメリカ文学を代表するF・スコット・フィッツジェラルドの傑作が原作だけに完璧なキャラクター分析。滔々と語る姿は演技派の趣。

でも、その前に部屋に入ってくるなり、「大丈夫。これはタバコじゃないからね」と電子タバコを見せびらかしていた姿は、いつものレオらしくてキュートだった。

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