「普通」にやってしまった
──世の中の理不尽に憤っていたはずのさとくんがやがて凶行に及ぶことになりますが、磯村さんがその過程を丁寧に演じていました。
役どころとして難しかったですね。ただ、さとくんの場合は壊れていた心がどんどん「普通」になっていったという言い方もできるような気がします。
資本主義批判を安易にするつもりはないですが、無駄なもの、生産性のないものを排除するという考え方が今の社会の基本的な考えとしてあります。それが「普通」になってしまっている。でも、当たり前ですが世の中にはいろいろな立場の人がいます。たとえば、弱い立場にいる人たちを助けようと考えるのは人間的な倫理観や正義感です。大半の人はそういうものを持っているので、本当に「生産性のない人」を排除しようという実際的な行為には結びつかない。
では、なぜさとくんは結びついてしまったのか。それをずっと考えたんです。それで気が付いたのですが、さとくんはあまりにも「普通」だったんじゃないかと。社会で正しいとされている考えに何の疑いも持たず、真剣に悩むこともせず、世の中の浅はかで軽薄な風潮に乗っかって、信じ込んでしまった。そこには、「本当にそれでいいのか、自分は間違っているのではないか」という自問自答のようなものはなかった。あくまでも普通の感覚で犯行に向かってしまったんです。恐ろしいことですが、そういう解釈や理解を磯村くんとは共有しました。
──タイトルの「月」は三日月をイメージされているのでしょうか。
辺見さんには「月=ルナティック(狂気)」のイメージがあったようです。人間の狂気を炙り出してしまうかもしれない妖しい光としての月。映画ではいろいろな月を見せていますが、基本的には三日月のイメージを強く出しています。
──原作の中に出てくる問いをさせていただきます。ひとってなんですか。
答えようがありません。この作品に出てくる「こころ」という言葉もそうですが、特定の誰かを否定する際に使われるのはとても危険です。ひとやこころという言葉は、それが何なのかを考えて悩み続けるためにあるもので、「あなたはひとではありません」とか「あなたにはこころがありません」という身勝手な断定に使うべきものではないと思うのです。
<PROFILE>
監督・脚本:石井裕也
1983年6月21日、埼玉県出身。大阪芸術大学の卒業制作として監督した作品『剥き出しにっぽん』(2005)が、第29回ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞。第37回日本アカデミー賞で『舟を編む』(2013)が最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞。
他の監督作に、『ぼくたちの家族』(2014)、『バンクーバーの朝日』(2014)、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)、『町田くんの世界』(2019)、『生きちゃった』(2020)、『茜色に焼かれる』(2021)、『アジアの天使』(2021)、『愛にイナズマ』(2023)などがある。
『月』2023年10月13日(金)より新宿バルト9、ユーロスペース他にて全国公開
<STORY>
深い森の奥にある重度障がい者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――。
<STAFF&CAST>
監督・脚本: 石井裕也
原作:辺見庸『月』(角川文庫刊)
出演: 宮沢りえ、磯村勇斗、長井恵里、大塚ヒロタ、笠原秀幸、板谷由夏、モロ師岡、鶴見辰吾、原日出子、高畑淳子、二階堂ふみ、オダギリジョー
配給:スターサンズ
© 2023『月』製作委員会
公式サイト:https://www.tsuki-cinema.com/