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朗らかで明るいイメージと同時に社会問題にも声を上げるもう一つの顔を持つ
「より良い未来をつくるために過去から学び、今行動を起こすことの重要さを伝えたいのです」
1950年代、ミシシッピ州で黒人少年が白人に殺害された実在の事件「エメット・ティル事件」を映画化した『ティル』(2022)で、製作と出演を兼任したウーピー・ゴールドバーグが、作品に込めた思いを語った言葉だ。
ウーピーの代表作といえば、大ヒットコメディ『天使にラブ・ソングを…』(1992)だ。あるいは、インチキ霊媒師をコミカルに演じてアカデミー賞助演女優賞に輝いた『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990)を挙げる人もいるかもしれない。
また、スタンダップ・コメディアンとして磨いた話術と愛嬌溢れる人柄を武器に、女性として史上初めてアカデミー賞授賞式の司会を単独で務め(1994年3月21日開催の第66回)、歴史を切り開いた人物でもある。
このように、朗らかで明るいイメージが強いウーピーだけに、冒頭の生真面目な言葉を意外に感じる人もいるかもしれない。だが、その成功の裏にある多難な半生を知れば、考えが変わるはずだ。
1955年11月13日、ウーピー・ゴールドバーグ(本名:カリン・エレイン・ジョンソン)は、ニューヨークで教師兼看護師の母と、牧師の父の下に生まれた。8歳のときに児童劇団で芝居を始め、やがて本格的に役者の道を志す。
その背中を押したのは、人気テレビドラマ「スタートレック(宇宙大作戦)」(1966~1969)に出演した黒人女優ニシェル・ニコルズの存在だった。今よりずっと人種差別が激しかった当時、ニコルズの活躍は多くの黒人女性たちに勇気を与えたが、ウーピーもその1人だった。
なお、「スタートレック」ファンを公言するウーピーは後に、「新スター・トレック」(1987~1994)に準レギュラーとして出演。以来、シリーズの常連となっている。
だが、走り出したばかりのその人生は、波乱万丈だった。まだ年端も行かない14歳で、妊娠中絶を経験。識字障害が原因で高校を中退したかと思えば、今度は薬物中毒に。
その治療で出会ったカウンセラーのアルヴィン・マーティンと結婚し、19歳で娘アレックス・マーティンを出産(アレックスは後に女優となり、『天使にラブ・ソングを2』〈1993〉で母娘共演)するが、やがてアルヴィンとも離婚。役者では食べて行けず、レンガ職人や葬儀場などの仕事を転々とした。
苦難続きの中、『卒業』のマイク・ニコルズ監督との出会いを経て、舞台で注目を集めるようになったウーピーに転機が訪れたのは、30歳のとき。サンフランシスコの小さな舞台に立っていた彼女を「カラーパープル」の原作者アリス・ウォーカーが見出し、映画版(1985)の主演に抜擢されたのだ。
20世紀初頭、奴隷同然の扱いを受けて苦難の人生を歩む主人公は、ウーピーにとって他人とは思えなかったに違いない。その熱演は、ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)受賞、アカデミー賞主演女優賞ノミネートという大輪の花を咲かせる。
一躍、全世界注目の的となったウーピーは、やがて『ゴースト/ニューヨークの幻』や『天使にラブ・ソングを…』で不動の地位を築く。
さらにプロデューサー業やテレビのトーク番組の司会者にも活躍の場を広げると、アメリカのエンターテインメント業界の主要な四つの賞、エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞を総なめ。各賞の頭文字をとって“EGOT”と呼ばれる数少ない成功者の1人となった。
その一方で3度の離婚を経験したウーピーは、マイノリティに思いを寄せることを忘れず、女性の権利拡大やLGBTQ+支持にも積極的に取り組んでいる。
こうしてみると、『ティル』への参加もウーピーにとっては当然のことであり、作品への思いを語った冒頭の言葉に納得できるのではないだろうか。