ドニー・イェンが宙を飛び交い、武術に於いて最高峰と言われる達人技を次々と繰り出していく。映画『シャクラ』は中華圏を代表する小説家・金庸の長編武侠小説「天龍八部」をドニー・イェンが監督・主演・製作として壮大な世界観で映像化した超絶武侠アクション作品である。物語を支えるスケールの大きなアクションを監督したのは盟友・谷垣健治氏。『るろうに剣心』シリーズで有名な谷垣氏は1993年単身香港に渡り、ドニー・イェンの作品をはじめとする香港映画にスタントマンとして多数参加してきた。SCREEN ONLINEでは本作の公開を機に谷垣氏にインタビューを敢行。作品やドニー・イェンについて語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

中国のスタントチームとともに限界を突破

──アクションシーンの構築というのはどのように作っていかれるものなのでしょうか。

脚本の流れやドニーとの会話で出たアイディアを生かしながら一度こちらでアクションを構築してみて、話はそこからといった感じです。これまでに何度も映像化されていますから、歌舞伎の出し物と同じで、決まった流れや一定の人物像というものも比較的はっきりしてますしね。

毎日、その日にテストしたことを2分くらいの映像にまとめて、ドニーやプロデューサーや各部署に送っていましたから、僕らが何を試しているのかは日々、各部署が把握している。これが3分を越えるとみんな見ないですから(笑)。それを見たうえで、お互いやりとりをして詰めていく。

とはいえ、ドニーが時に監督として、時に主演として、時にプロデューサーとして、違う立場で違う意見をいうので、こっちは大変でしたけれどね(笑)。

しかし事前にどれだけコミュニケーションを取って、共通の認識でいれるかがアクション映画を作る上で大事なことだと思います。

画像: 中国のスタントチームとともに限界を突破

──今回、初めてトライしたアクションはありましたか。

基本的にはいつものスピード感とかパワー感は絶対必要な要素ですが、今回はいわゆる「気功」の表現について、いろいろなトライ&エラーがありました。武侠ものを手がける上で気功を使って飛ぶとか物を吹っ飛ばすなどは欠かせないものの、中国の観客と海外の観客ではその許容度も変わってくるというか(笑)。

最初の鳩摩智とのバトルは殺し合いではなく、お仕置き的な意味合いですから、むやみにワイヤーで飛ばず、喬峯が常人以上超人未満くらいの設定にしてあります。それがクライマックスの慕容復との一騎打ちになると強い者同士の戦いなので、さながら気功合戦といった感じになり、空中での戦いを強調しました。

といってもワイヤーでの飛んだり跳ねたりを短いカット割で見せたら、それは従来の時代劇と同じになってしまうので、そこはワイヤー感が多少出ようとも、できるだけワンカットで見せるように心がけました。喬峯が途中で回転しながら軒先に上がり、それを慕容復が追っていき、空中で何度も向きを変えて戦う過程をワンカットの中でできないかなと思ってやってみたら、奇跡的にうまくできたというカットもあったりするので、そのへんも注目してみていただければ。

──ワンカットに見せているのかと思っていましたが、本当にワンカットだったのですね。

アクション作品をたくさん手がけてきましたから、良くも悪くも「これはできる、これはできない」という判断がついてしまいます。時間がないと確実なことしかやらなくなり、野心的なショットが撮れなくなるのが一般的な現場です。でもドニーの現場は時間があってもなくても挑戦させてくれる。ちょっと無理かなと思うことも中国のスタントチームに「やりたい」と伝えると、「了解っす!」と返事をして、ああでもないこうでもないとやっているうちにいつの間にか力業で奇跡の1カットが撮れてしまう。そんなことが毎日ありました。無理なことに挑戦させてくれる時間と仲間がどれだけ大事かってことです。

日本のプロフェッショナリズムはできないときはできないという。しかし中国のプロフェッショナリズムというのは、難しいと思っていてもできないとは言わないことかもしれません。「何でもできるといえばいいってものじゃない」という見方もありますが、結果論として、今回はできた。たまたまできただけかもしれない。勢いだけなのかもしれない。でも力業で無理くりやったことは場面から力が伝わってきます。そこが中国のチームとやる面白さですね。

──クライマックスは迫力満点でした。

クライマックスの慕容復との一騎打ちは撮影順でも最後に撮っています。“達人同士の一騎打ち”をコンセプトにして、必殺技の応酬につぐ応酬。撮ってから「やっぱりこうしよう」と前日まで撮っていた流れが全部ひっくり返って戦いの設定まで変わり、撮り直すことも。そうやっているうちに撮影場所の撮影期限になってしまい、翌日からは別の撮影クルーがその場所使うので、明け渡さないといけなくなる。

しょうがないので喬峯と慕容復が壁をバーンと壊して別のところに行くことにしてそこまで撮り、次の日はまったく別の場所で壁をぶち破った後のシーンから撮ったりしました。

ところが、そこも撮っているうちに撮影期限がきて、床をぶち抜くシーンを撮って、次の日はまた別の場所でぶち抜けた後からを撮っているんです。さらにそこも使えなくなって、屋根に上って、先程お話した空中での追っ掛けっこになる。ですから屋根を走らせたくて走らせたのではなく、撮る場所がなくなって、屋根を走ったんですよね。そんな感じでクライマックスに何かをぶち破って次から次へと場所が変わるのは、撮影に時間が掛かって場所を変更せざるを得なかった苦肉の策と思っていただければと思います(笑)。

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