ドニー・イェンが宙を飛び交い、武術に於いて最高峰と言われる達人技を次々と繰り出していく。映画『シャクラ』は中華圏を代表する小説家・金庸の長編武侠小説「天龍八部」をドニー・イェンが監督・主演・製作として壮大な世界観で映像化した超絶武侠アクション作品である。物語を支えるスケールの大きなアクションを監督したのは盟友・谷垣健治氏。『るろうに剣心』シリーズで有名な谷垣氏は1993年単身香港に渡り、ドニー・イェンの作品をはじめとする香港映画にスタントマンとして多数参加してきた。SCREEN ONLINEでは本作の公開を機に谷垣氏にインタビューを敢行。作品やドニー・イェンについて語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

ドニー・イェンと喬峯は境遇が似ている

──本作は香港の小説家・金庸が書いた小説「天龍八部」を原作としています。この小説は中華圏では繰り返し映像化されているそうですね。

金庸はもともと「明報」という香港の新聞社の社主で、読者を楽しませようと社説だけでなく武俠小説も毎日、書いていたのです。50~70年代頃のことで、「天龍八部」はその1つ。それが今も読まれているのです。日本でも岡崎由美さんが監修された日本語版が徳間書店から出版されています。

おっしゃる通り、繰り返し映像化されてきていますから、小説を読んだことがなくても、映像を通して知る人も多いです。原作で描かれている武侠という概念は中国人を知る上ではすごく重要なこと。金庸の本を読めば中国人の思想がわかるとよく言われます。

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──本作に関わるまで、谷垣さんは「天龍八部」について、どのように捉えていましたか。

「天龍八部」の映像化でいちばん有名なのは2003年に中央電視台(CCTV)が放映したテレビドラマですが、20年前の作品ですから、今、観るとエフェクトやCGがちゃちで、「こうしたらもっといいのに」「自分だったらこうするのに」ということがたくさんあります。そういうときって創作意欲が駆り立てられますよね。

テレビドラマというのはその時代その時代ごとに撮り方があります。アクション監督の程小東(チン・シウトン)に代表される細かいカット割りやワイヤーアクションは武侠小説の世界を表現するための手法として、1980~90年代に発展しました。そういう意味では武侠物の撮り方はある程度、メソッドがあるわけです。しかし、ドニーとだったら従来とは違う、新しいことが試せるのではないかと思っていました。

──ドニー・イェンから映画化の企画を聞いたときはどのように思われましたか。

最初は『天敵』というドニーとアンディ・ラウ主演の現代ものを中国の海南島や青島で撮る予定でした。リゾート地でもあるので密かに楽しみにしていたところで予定が変更になり、代わりに「天龍八部」の映画を撮ると聞き、「時代劇は経験がないから困ったな」「海南島じゃなくなったしな」と参加できない言い訳を必死に考えてしまいました(笑)。

でもドニーから「『るろうに剣心』のアプローチで中国の時代劇を撮ったら、新しいものができるんじゃないだろうか。しかも自分が主人公をやったら、もっと違うものになるはず」と言われて、それもそうだなと。コロナ禍で渡航も困難だったので今回参加する日本人はアクション監督の僕1人。あとは全員中国人のスタントチームという布陣でしたが、それがいい形に作用して、いつもと違う意味で面白いものができるかもしれないという予感がしました。

ただ、金庸の小説はすごく長くて、登場人物も多い。テレビドラマに適しているのですが、それをどうやって2時間前後の尺の中に入れるのかということは気になりました。

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──ドニーは「喬峯こそ真の武芸者だ」として、特別な思いを抱いているそうですが、谷垣さんは喬峯を描くときにどんなことを意識されましたか。

ドニーと話していると、いつも自分と演じるキャラクターの共通点というか、コネクトさせるのがうまいなあと感じます。ドニーはいわゆる有名人なので、SNSなどでいろいろ書かれます。しかし、れがフェイクなのかどうか、一般の方には見分けるのが難しい。喬峯も「お前は悪人だと誰々さんも言っていた」という無責任な発言で組織を追われます。「お前、それ見たのかよ」と突っ込みたくなるような話ですが、誰かが言ったというだけで信じる奴らを相手に戦わなくてはならないというところは現代に通じるものがありますし、それを武侠の時代に持ってきたというところが面白いと思いました。

喬峯は剣心にも似ている気がします。剣心は喬峯のようにマッチョではないですし、自己主張も強くなく、「どっからでもかかってこい」とはいいませんが(笑)、ある組織から外れて、1人でいることを選んだ。そこに寄り添ってくれる人ができたのだけれど、ある企みからその大切な人を自分自身で殺してしまう。そんなところが喬峯と同じです。

本作での戦い方に「るろ剣」風味を感じるという声も多く届きましたが、まあ僕が撮ってるということもありますが(笑)、主な要因はシチュエーションにあるのではないかと思います。

剣心の飛天御剣流は一対多数の戦いを得意とする実戦本位の剣術で、原作コミックでは当初の読み切りでは、「みつるぎ」が「三剣」と書かれていて、1人で3つの剣を使っているかと思うくらい動きの速い戦い方です。ですから『るろうに剣心』では速さと1対多数の戦いを強調したのですが、1対多数というのは相手を攪乱させること。ずっと目の前にいたら攪乱させられません。すっと動いて相手の後ろに入り込んだりスライディングしたと思ったら次の瞬間には宙高く飛んでたりするわけです。特に中盤の各派閥が集結した聚賢荘での戦いは1対超多人数でしたから、自然と『るろうに剣心』のときのアプローチに似たのかなと思います。

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