監督の仕事はサーカスを運営するような感じ
──本作で初めて監督をされ、脚本も書かれましたが、いかがでしたか。
脚本はもともと自分が書きたくて書いていました。誰かに依頼されているわけではないので、どんなことを書いてもいいし、うまく書けなかったら、書き直せばいい。締め切りはないので、時間はいくらでも掛けられます。
しかし、映画化が前提となると、すべての判断にお金が絡んできます。場合によっては、何千ドル、何万ドルという金額が掛かることがあるかもしれない。例えば「ここで象が空を飛んで、窓に激突してガラスが割れる」と書くだけならタダですが、それを実際に撮ろうとすると高額な費用が必要になります。整理整頓が苦手なキャラクターにすれば、部屋の中がごちゃっとしていることを見せるためだけに小道具をたくさん置かなくてはなりません。
映画を撮るとなると、いろんな人がいろんなことをする。その中で監督をするというのはサーカスを運営するような感じがしました。間違ったことをして1分でも時間を失うと、それが全体において大きな損失になることもある。自分の意志で脚本を書くのとはまったく違う活動だと思いました。
今、別の作品の編集をしていますが、その作品には自分も出演しています。自分がこれまでやってきた現場の経験をもっと飛躍させたものが監督なのかもしれません。
──物語の着想のきっかけを教えてください。
僕は何かを書くのが好きで、NYマガジン向けにユーモラスなエッセイや脚本を書いたり、音楽を作ったりします。1つのものが終わると次のものに取り掛かる。常に書く題材を探しています。Audibleで30年に渡る歳月を描いた5時間のラジオドラマを作り終え、次は何か書こうと考えたときに、Audibleのラジオドラマでみなさんに紹介していなかったキャラクターがいたことに気が付きました。それがエヴリンとジギーです。
エヴリンはDVシェルターを運営し、活き活きと仕事をしています。ただ、堅苦しいところがあって、シェルターではちょっと怖い存在。一方、息子のジギーはネットのライブ配信で人気のミュージシャンで、シェルターに興味がない。そんな2人を通じて、DVシェルターの世界とオンラインアプリの世界を並列させたら面白いかもしれないと思って物語を作りました。エヴリンが家ではどんな生活をしているかを見せたら、ビジュアル的にも対比が生まれますからね。
──エヴリンの家には美術のこだわりを感じました。
エヴリンとジギーが住んでいる家はとても温かくて、手入れが行き届き、きちんと整理整頓されています。そして、ちょっと特別感がある。それはとても細かいところがあるエヴリンの性格を反映しています。ただ、ジギーの部屋だけは別。大きいポスターが貼ってあり、彼の性格を反映した騒々しい感じのアートもあって混沌としています。
この映画はインディアナ州という設定です。アメリカの真ん中で、トウモロコシ畑と平原があるようなところをイメージしています。しかし撮影はニューメキシコ州で行いました。ニューメキシコは美しい山があって、乾いた砂漠があることで有名です。インディアナ州に似ているところは通り2本分しかなかったので、そこをみんなで行ったり来たりしながら撮影をしました。