謎の感染症“ゴーレムウィルス”によって、突然日常を奪われた人々の過酷なサバイバルと濃厚な人間ドラマを描いた連続ドラマ「君と世界が終わる日に」は愛する人さえ失う予測不能のスリリングな展開が反響を呼んだ。Season1は地上波で放送され、 Season2~4はHuluで配信。『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』で竹内涼真演じる熱き主人公・響の物語が完結する。ドラマから引き続き、メガホンを取った菅原伸太郎監督に作品の世界観や劇場版に至るまでの主人公の変化、新たに加わったキャラクターについて語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

座長として背中で語る竹内涼真

──主人公の間宮響を竹内涼真さんが演じています。竹内さんとはどのように響を作ってこられたのでしょうか。

キャラクターの生い立ちやこれからどうなるのかといったことやSeason通しての方向性は竹内くんと話をしましたが、特殊な設定なので、脚本を読んだだけでは想像できないことがいっぱいありました。基本的には現場に入って、目の前で起きていることを感じながら演じてもらい、僕は竹内くんがどうとらえたのかを見せてもらう。脚本に書いてあることと違うことを竹内くんが提案してきたら、それがありかなしかを僕がジャッジする。そんな風に手探りで作っていました。

Season2以降は僕も竹内くんも「きみセカ」が終わったら別の作品をやり、それからまた「きみセカ」に戻ってきて、新たに得たものを寄せ合うようにSeasonを重ねてきました。

画像: 間宮響(竹内涼真)

間宮響(竹内涼真)

──ドラマのときは最終的な着地点を決めた上で撮っていったのでしょうか。それとも作っていきながらラストを模索していたのでしょうか。

Season3まではやることが決まっていましたから、ある程度は決めていました。しかし、撮ってみなければわからない部分も大きく、まずは第一話、そして第二話と撮っていき、結果として着地点がずれても仕方ないといった感じでした。響が来美を殺しましたが、それは最初から決めていたことではなかったのです。

──Seasonを重ねるごとに響をどのように変化させていきましたか。

「決して諦めない」というのが口癖というか信条で、仲間を励まして、友を裏切らず、恋人のために努力する。少年ジャンプ的なヒーローでしたが、いろいろと辛い思いを経験したことで、元の性質は失われていきました。自分の思いがより先鋭化し、仲間や友だちといった建前のきれいごとはどうでもよくなっていく。一般的に求められる主役っぽいものから外れていき、Season3で来美を殺してしまう。それまでは生きる意味やこの世界で協力して生きていこうといった一般論的に正しいことが言えていたのですが、それが言えなくなりました。

それでも “かつての自分はこうだった”という人に出会い、その人に協力するという自分の目的以外のことで動くのですが、それによって“自分はこういう風な頃には戻れない”と自覚する。Season4は過去との決別編と思って作りました。

──劇場版ではどのような響を見せていこうとされましたか。

学校のそばを通って部活をしている高校生を見ると「自分にもあんな頃があったなぁ。でも、もうあの頃には戻れない」と切なくなりませんか。響はそれに近い状態。その対象が劇場版から登場する大和と葵です。

ビジュアル的にもSeason1の頃はギラギラしていましたが、劇場版では青年期が終わりになり、中年期に入り始めたところ。白髪も生えてきています。辛い経験や禍根を経て、理想などは諦め、たった1つのもののために生きていく。諦めと割り切りみたいな間宮響を描こうとしました。

──それを監督から竹内さんに伝えましたか。

過去の響と来美を意識して、大和と葵を作っていましたが、そういう意図は脚本を読んでわかってくれていたと思います。

響が大和に「なぜ自分が来美を殺してしまったのか」を話すシーンがあります。大和に話したところで何かが解消するわけではないので、響の感情としては話す必要ありません。では、なぜ大和に話したのか。竹内くんがちょっと悩んでいるように見えたので、かつての自分と似たような存在に自分の過去を話すことで、響も切り替えて前に進もうとしたシーンだと伝えました。

──劇場版に際して、竹内さんから何か提案はありましたか。

これまでもそういうことはあまりなかったのですが、最後に吉田鋼太郎さんが演じた西条と対面し、「全人類の命とたった1人の命。どちらが大切なのか」と問われるシーンで、竹内くんから提案がありました。脚本上の響は「そんなことは決められない」と一般的な意見の代弁者だったのですが、竹内くんから「響は一般論をすべて経て、自分の娘という存在しか生きる意味がない状況なので、もっと感情的なセリフにしたい」と言われたのです。

響と西条の会話は全然かみ合わないのですが、最後に響が「俺はミライの父親だ」と言い切って終わります。理屈で整理できないことを感情で言うシーンでしたが、Season1から間宮響を演じてきたからこそ言える言葉に直してくれました。何をどういうのかというチョイスには時間が掛かりましたが、すごくよくなったと思います。

──間宮響に対する今の思いをお聞かせください。

劇場版まで作れたのは竹内くんが演じてくれたからだと思っています。いろいろ苦労はありましたが、主人公である響と向き合い、人間として演じてくれたので、内容としてはファンタジーではありますが、説得力のあるリアルな作品になりました。

アクションをしているか、苦しんでいるか、泣いているか、喧嘩しているか。そういうシーンばかりで幸せなシーンがなく、演じているとかなりメンタルがやられてしまう役どころでしたが、筋トレで前向きホルモンを出して乗り切ってくれたのだと思います。僕としては感謝の気持ちしかありません。竹内くんとしては「こんなに辛いキャラクターを演じるのもこれでやっと終わり」とほっとしているところが大きいかもしれませんけれどね(笑)。

──Season1から竹内さんを演出されてきましたが、監督からご覧になった竹内さんの俳優としての魅力を教えてください。

初めの頃はキャラクターの感情に完全に入り込み、感じるがままに動いていました。それはそれでよかったのですが、演技法やメソッドを勉強されたのか、ここ最近は、感情をわっと出しつつ、それを冷静にコントロールする部分もありますね。

この作品は若いキャストが多いのですが、竹内くんが座長として何も言わなくても、周りがついていく。“背中で語る”ではないですが、みんなちゃんと見ているのです。これはすごい。響がSeasonを重ねて変わっていったように、竹内くんも変わっていった。僕が何も言わなくてもちゃんと現場が回っていくので、頼りになります。

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