幼い頃に母親から虐待を受け、高校卒業後は義父の介護を押し付けられていた女性が自分と同じように母親から虐待を受けている少年と出会い、彼を助け出そうと奮闘する。その過程で自分を助け出してくれたある男性のことを思い起こしていく。映画『52ヘルツのクジラたち』は2021年本屋大賞に輝いた町田そのこの同名小説の映画化で、〈52ヘルツのクジラ〉とは、他の仲間たちには聴こえない高い周波数で鳴く世界で1頭だけのクジラのこと。主人公の三島貴瑚を杉咲花、彼女を救う岡田安吾を志尊淳が演じている。公開を機に成島出監督、町田そのこ先生にお話をうかがった。(取材・文/ほりきみき)

繊細な題材にみなが誠実に向き合って取り組んだ

──貴瑚を杉咲花さんが演じています。シナリオの改稿を重ねていく中で 、自然と杉咲さんと貴瑚が重なったとのことですが、杉咲さんは監督の中でどのようなイメージがあったのでしょうか。

画像1: 繊細な題材にみなが誠実に向き合って取り組んだ

成島:貴瑚は自分で自分を殺そうとするところまで追いつめられてしまいますが、ただのナイーブで繊細な女の子ではありません。虐待を受け、ヤングケアラーとして大変な思いをしてきたのだけれど、根っこでは強い生命力がある。原作を読んで、独特な生命力を感じたのです。そういう部分が杉咲さんと重なりました。

町田:杉咲さんの目を見て、貴瑚だと思いました。虐待されているときの弱々しさ、アンさんたちと出会って戻ってきた明るさ、そして大分にいるときの強さをどれもしっかり目で表現し分けている。しかもそれが私のイメージに合っていたのです。

杉咲さんが演技しているところを拝見させていただいて、貴瑚はこんな声で、こんな風にしゃべるんだと思ったくらい、私の中ですんなり受け入れられました。

──貴瑚が具現化されていたのですね。

町田:そうですね。自分の中にあったイメージだけの貴瑚像にいきなり血肉が通って、輪郭がくっきりしました。そこに少しの違和感もなく、驚いたくらいです。完成した作品を拝見させていただいたときも同じでした。

──志尊さんはアンさんとしていかがでしたか。

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町田:初めて現場にうかがったのは、アンさんが宮沢氷魚さん演じる貴瑚の恋人・主税に「岡田安吾です」と自己紹介するシーンの撮影のときでした。アンさんが着ているジャケットの襟を手で下に引いて気合を入れるのですが、志尊さんはちょっと内側に入れたのです。その仕草を見た瞬間、アンさんだと思いました。

自分の体にコンプレックスや不安を抱えているけれど、ここでがんばらないといけないという無意識のこの仕草を見て、俳優さんが演じて血肉を通わせるってこういうことなんだと鳥肌が立ちました。

監督:あれは見事でしたよね。

町田:撮影の後で志尊さんとお話ししたときに、ジャケットの襟を引く真似をしながら「ここが、ここが」と何回も言ってしまったくらい、あそこは本当にぐっときました。「貴瑚とアンさんはこういう風に生きていたんだね」と私の想像を超えてきたところもあったので、それ以来、作品の完成を心待ちにしていました。

──志尊さんの髭姿は珍しいのでちょっと驚きました。

監督:僕が言ったのか、志尊くんが言ったのか覚えていませんが、早い段階で「髭は挑戦してみましょう」という話になりました。

トランスジェンダー監修をしてくれた若林佑真くんから話を聞くだけではなく、志尊くんも一緒にトランスジェンダーの方が集まるお店に行って、みんなで話を聞いたりしたのですが、髭を生やしている方が多かったのです。

町田:髭を伸ばす方が多いというのは私も調べていたときにわかったので、小説でも「ニキビ痕の残る肌に芝生のような顎鬚」という表現はしているのですが、ホルモン注射をしていても疎らにしか生えないそうです。志尊さんの髭を見たときに、「こんなにリアルな髭が本当に生えているのですか」と聞いてしまったところ、あれは付け髭だと教えていただきました。

監督:実際にはあのようには生えないんですよ。

町田:付け髭もみなさんでいろいろと考えてデザインされたと聞いて、すごいと思いました。

──アンさんを作り上げるために、志尊さんとはかなり丁寧にリサーチをされたのですね。

成島:とても繊細な題材なので、この作品でフラッシュバックされる方もいるかもしれない。志尊くんだけでなく、杉咲さんやほかのキャストとも「こういう言い方をしたらトランスジェンダーの方を傷つけてしまわないだろうか」とか、「アウティングに対する指摘の仕方はこれでいいのか」といったことを何度も話し合いました。町田さんがおっしゃったように、それを利用する形だけの作品になってはいけないという思いをキャストやスタッフみなが強く持ち、とても誠実に向き合いました。

──最後にひとことお願いいたします。

町田:小説を書くというのは私と担当者2人きりの作業です。そうやって作った小説が映画化されることで多くの方々が関わってくれました。例えば杉咲さんは目の力でさまざまな感情を的確に表現し、志尊さんはちょっとした仕草1つでも計算し尽してアンさんを作り上げてくれ、他の方々も誠実に向き合ってくれていたのを感じました。みなさん、本当に素晴らしくて、現場にうかがうたびに幸せな気持ちになりました。

自分が書いたものがより良いものに生まれ変わって、もっともっと広まっていく。それがただただありがたくて、うれしい気持ちでいっぱいです。

監督:杉咲さんや志尊くんだけでなく、宮沢くんやほかのみんなも難しい役でしたが、1週間のリハーサルの中で役どころを掴んでくれました。僕にとっても初めてのメンバーでしたが、みんな原作が好き。どうしたら映画としてベストなのかをチームで考えながら作ったお芝居がいい結果になって映画に現れたと思っています。

自分は52ヘルツのクジラのように孤独だと思っている方には、「助けを求める声が届くこともある」と感じ取ってもらえればと思います。

<PROFILE>

監督:成島出
1961年生まれ、山梨県出身。1994年から脚本家として活躍した後、初監督作『油断大敵』(03)で藤本賞新人賞、ヨコハマ映画祭新人監督賞を受賞。『八日目の蟬』(11)は日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞を含む10部門を受賞する。その他、『フライ,ダディ,フライ』(05)、『孤高のメス』(10)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(11)、『ソロモンの偽証 前篇・事件』(15)、『ソロモンの偽証 後篇・裁判』(15)、『ちょっと今から仕事やめてくる』(17)、『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』(19)、『いのちの停車場』(21)、『ファミリア』(22)、『銀河鉄道の父』(23)など多岐にわたるジャンルで、常に高く評価される作品を送り出している。

原作:町田そのこ
1980年生まれ、福岡県出身、同県在住。10歳の時に氷室冴子の「クララ白書」「なんて素敵にジャパネスク」に感銘を受け作家を志す。2016年に「カメルーンの青い魚」で新潮社が主催する第15回女による女のためのR-18文学賞の大賞を受賞、2021年には「52ヘルツのクジラたち」で本屋大賞を受賞。2022「星を掬う」、2023年「宙ごはん」と3年連続の本屋大賞ノミネートを果たす。

『52ヘルツのクジラたち』
3月1日(金)TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー

画像: 『52ヘルツのクジラたち』本予告 3月1日(金)全国ロードショー www.youtube.com

『52ヘルツのクジラたち』本予告 3月1日(金)全国ロードショー

www.youtube.com

<STORY>
傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚は、虐待され、声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年と出会う。かつて自分も、家族に虐待され、搾取されてきた彼女は、少年を見過ごすことが出来ず、一緒に暮らし始める。やがて、夢も未来もなかった少年に、たった一つの“願い”が芽生える。その願いをかなえることを決心した貴瑚は、自身の声なきSOSを聴き取り救い出してくれた、今はもう会えない安吾とのかけがえのない日々に想いを馳せ、あの時、聴けなかった声を聴くために、もう一度 立ち上がる──。

<STAFF&CAST>
原作:町田そのこ「52ヘルツのクジラたち」(中央公論新社)
監督:成島出
出演:杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨、桑名桃李、余貴美子、倍賞美津子
主題歌:「この長い旅の中で」Saucy Dog(A-Sketch)
配給:ギャガ
©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
公式サイト:https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

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