題材と地の文とキャラクターが三位一体となっている原作
──原作小説の着想のきっかけからお聞かせください。
町田そのこ先生:(以下、町田):デビュー作のときに魚をモチーフにした短編集を作ろうと思い、魚の生態や面白いエピソードをいろいろ調べました。そのときに“52ヘルツのクジラ”のことも知ったのです。
モチーフとしてとても惹かれ、書いてみたいと思いましたが、デビューしたばかりの私には扱いきれるか自信がない。自分に実力がついたと思えるようになったときまで寝かせておくことにし、初めて長編のお話をいただいたときに「今だ!」と思って、チャレンジしたのです。
──本作のテーマと“52ヘルツのクジラ”がどう結びついたのでしょうか。
町田:私には子どもがいるので、虐待児童の問題が気になっていました。“52ヘルツのクジラ”の声なき声、誰にも自分の声が届かない孤独というイメージから「助けて」という声を上げることができず、辛さを誰にも伝えられない虐待児童を連想したのです。
そこからトランスジェンダーやヤングケアラーといった問題のことも考えるようになり、声なき声にはいろいろな声があるという思いも込めて、このような物語になりました。
──監督は原作を読んでいかがでしたか。
成島出監督(以下、成島):プロデューサーの横山さんに「映画化を前提に読んでもらえないか」と言われて読んだのですが、社会問題になっている要素がたくさん含まれた難しいテーマを地の文が的確に紡いでおり、題材と地の文とキャラクターが三位一体で、小説としての完成度が非常に高い。しかも、読んだときの衝撃と最後の救いに心が完全に持っていかれ、しばらく涙が止まりませんでした。
ただ、映画と小説は“超える、超えない”というものではありませんが、映画的に2時間に崩していくのはすごく難しいと思いました。
──脚本開発に苦労されたのですね。原作では岡田安吾(アンさん)がトランスジェンダー男性であることを三島貴瑚が知るタイミングで読者も知りますが、映画では観客が貴瑚より先に知り、アンさんの苦悩に観客だけが寄り添えるので、心の痛みがより鮮明に伝わってきました。
成島:先生が小説を書かれたのは2019~2020年頃ですが、トランスジェンダーをめぐる現状や社会の認識がここ数年の間にものすごく大きく変わってきています。原作のアンさんは太陽と月で表現すれば月みたいな存在で、アンさんのことが後からわかってくるという構造になっていますが、映画ではアンさんに大きく表に出てもらい、声を発することができなかった彼の痛みをオンにさせてもらいました。あとはほとんど原作通りなのですが、それをどう見せるかに時間を掛けました。
町田:監督がおっしゃったように、私が書いたときとは社会的状況が変わってきていますし、トランスジェンダーである事実が物語を楽しむギミックになるのが嫌だったので、早めに知らせるというのはすごくいいと思いました。しかも志尊(淳)さんがアンさんを演じることによって、小説では文と文の間に埋もれさせていたアンさんの苦悩が匂い立つというか、悲しみや衝動が肌で感じるように伝わってきました。作品を拝見して、こういう表現もあるんだなと私にとっての学びになりました。
志尊さんの横にはトランスジェンダー監修の方がついていらっしゃったので、お話しする機会があったのですが、トランスジェンダーについての情報の扱い方、見せ方をどうするか、この問題について自分は今後どういう風に書いていくべきなのかということまで改めて考えるきっかけになりました。
──小説の貴瑚はアンさんに対して恋愛感情を持っていませんでしたが、映画ではほのかな恋心を抱きます。
監督: 原作ではアンさんがマンガみたいに存在しているというか、貴瑚にとってのアンさんは神様のような存在で、大好きで愛していると言ってもいいのだけれど、恋愛とは違うというのが貴瑚の中に実感としてある。
しかし、それを映画でやるのはすごく難しい。志尊くんと杉咲(花)さんでやるとなると、恋愛感情がないというわけにはいきません。志尊くんは髭もじゃでコロコロっとしたアンパンマンみたいな感じのキャラではありませんから。
先生には申し訳ないけれど、貴瑚が一度、アンさんに対して恋愛感情を持つけれど、アンさんはそれを受け止められず、貴瑚の幸せを祈っていると答えることで、貴瑚は振られたと思うという形を取らせてもらいました。ここがいちばん悩んだところです。
町田:私はパラレルストーリーというか、私が書かなかった、もう一つのルートという気持ちで見ていました。これによってアンさんの心の葛藤が際立ったと思います。