機能不全の家庭に生まれ、虐待の末に薬物に溺れる少女・杏が、人情味あふれる型破りな刑事や更生施設を取材する週刊誌記者をはじめとした人々に出会い、生きる希望を見いだしていく。しかし、微かな希望をつかみかけた矢先、どうしようもない現実が彼女の運命を残酷に襲う…。『あんのこと』は2020年6月に掲載された「少女の壮絶な人生を綴った新聞記事」を基に描いた衝撃の人間ドラマ。企画から関わり、脚本を書いた入江悠監督に作品への思い、キャストについて、本作が監督に与えた影響などを聞いた。(取材・文/ほりきみき)

余計なキャラクター付けはいらないと直感で悟った稲垣吾郎


──刑事の多々羅を佐藤二朗さん、記者の桐野を稲垣吾郎さんが演じています。

多々羅と桐野に関しては僕自身がおっさんなので想像しやすいところがありました。多々羅はがさつで、欲望に忠実で、昭和によくいた男性。僕自身もそういう大人をよく見ましたし、佐藤さんもたくさんご覧になってきたと思うので、すんなり掴めました。

桐野に関してはいろんな記者の人に、記者はどういう生活をしているのか、どういう風に取材対象に近づいていくのかといった話を聞かせてもらって、掴んでいきました。

画像1: 余計なキャラクター付けはいらないと直感で悟った稲垣吾郎


──佐藤さん、稲垣さんは脚本を読み込んで役を作ってきてくれたのでしょうか。

作り込むという感じではありませんでしたね。特に稲垣さんはすごくフラットにニュートラルな感じで現場に入ってくれました。余計なキャラクター付けはいらないと直感で悟られていたのかもしれません。観客に近い目線でいてくれたことがよかったですね。

桐野が段々と杏に近づいていく過程がすごく自然でした。具体的にここで彼女に興味を持ったという芝居ではなく、最初は自助更生グループのサルベージ赤羽にふらっと来て、杏を見ていますが、徐々に杏に関心を持っていくといった感じで、少しずつ温度感が上がっていくグラデーションが見事でした。わかりやすくない役なので、演じるときに不安があったかもしれませんが、そのわかりにくさみたいなことをちゃんと引き受けてくれました。

印象的だったのは多々羅との面会のシーンで、悩みを吐露するところ。2テイク撮ったのですが、「1回目の方がよくできました」と稲垣さんがおっしゃったのです。僕も監督として同じことを感じたので、気持ち的なところも客観視できている方なんだなと思いました。

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──佐藤さんはいかがでしたか。

佐藤さんとお仕事するのは初めてですが、脚本を読んで繊細な作品であることはちゃんとわかっていらっしゃって、いつものアプローチとは違うんだろうなという印象は受けました。

例えば、ちょっとだけ乱暴な刑事を表現するために、路上に唾を吐くとか、タバコのポイ捨てをしてもいいかと尋ねられたのです。そういったことをする人を最近は見かけませんが、昔はよくいましたよね。

撮影中、台本に何かを熱心に書き込んでいらっしゃるなと思ったら、どこでご自身がタバコのポイ捨てをしたのかをメモされていました。投げ捨てをしたシーンが続いてしまうとくどくなるので、やり過ぎないように、そこのバランスをご自身で調整されていたのです。小さな動きですが、すごく繊細に、全体の中のどこでしたのかをちゃんと把握されていました。

「ここはワイシャツに汗があってもいいんじゃないですか」と映るか映らないかわからないところにまで、多々羅として提案をしてくださったこともありました。きっと、警察署やラーメン屋など、それぞれの場所で多々羅ならこういう風に居るんじゃないかということを考えて芝居をするのがお好きなのでしょうね。すごく楽しそうでした。

少しのことが大きく見えてしまう世界の映画なので、佐藤さんがそういうアプローチをされているのはすごくうれしかったです。また、今回は重いシーンが多いのですが、河合さん、稲垣さんとの3人の芝居では、佐藤さんがムードメーカーとして場を和ませてくださるところもありました。

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──杏の母親を河井青葉さんが演じています。

河井さんの負担は相当大きかったと思います。暴力を受ける側の河合さんよりもむしろ精神的なストレスが大きかったかもしれません。

僕は普段、リハーサルをやらないのですが、河井さんと河合さんには事前に何回か来ていただきました。虐待のシーンがただのアクションになってはいけないので、“母から娘への暴力にはどういう暴力があるのか”、“なぜ暴力があるのに、杏は逃げ出さずに実家に帰るのか”といったことも含めて、おふたりとディスカッションをしながら、リハーサルをしました。河井さんが「今、自分はこういう風に感じているから、こうしてみたい」といったやり取りをリハーサルの段階でやらせてもらったので、撮影は問題なく進めることができました。


──杏の母親はなぜあそこまで娘に暴力を振るうのか、母親自身の育ちが気になりました。

あの家族にはおばあちゃんもいて、女性3代で住んでいます。この作品のお母さんがどういう生い立ちだったのかサブテキストを作って、河井さんや河合さんにお渡ししました。一つ言えるのは、加害と被害は世代を超えて連鎖しがちであるということ。母親も彼女の母親から虐待を受けていた可能性はあるのではないかと思います。

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──そのおばあちゃんが孫には優しいので、母親としては葛藤があったのかもしれませんね。

杏の母親は自分の思うようにいかないから、娘に怒りをぶつけているところもある。この作品では河井さんは本当に大変なシーンばかりでした。

ただ、最後に杏と対峙するときの河井さんの表情がすごくいい。母親というか、一人の女性としてどうしょうもなさを自覚しているのを感じて、僕は河井さんの表情に救われた気がしました。誰にも弱さがあって、その弱さを認めたくないから他者に暴力を振るってしまう。そういった感じのすごく複雑な表情をされていました。


──この作品は監督のフィルモグラフィにおいて、どのように位置づけられますか。

どんな位置づけになるかは公開して、観客の方々から感想をいただいて、段々わかってくるのだと思います。ただ、編集を終えたときに、“杏という女性が本当に隣にいるような感覚で作っていた”ということを感じました。この感覚はこれまでいくつも映画を作ってきましたが、初めてでした。これまでは“どこか架空の主人公”という認識だったのです。

以前はまったく輪郭が見えなかったけれど、街のどこかですれ違っていただろうし、こういう人は今もきっといるだろうし、今日もすれ違ったかもしれないという実感を持てたのは、僕にとってすごく大きいことでした。


──これからの映画作りに変化がありそうですね。

それはあると思います。今回はモデルになった女性がいて、その方に「失礼がないように」と祈るような気持ちを河合さんと共有しながら撮影していましたが、本来ならばまったく架空の登場人物であってもそういうことを思わないといけないんだろうなと思いました。そもそも映画は主役が人である以上、人への距離感を監督としてもっと考えなくてはいけないと思いました。

<PROFILE>  
入江悠 / 監督・脚本 
2009年、自主制作による『SR サイタマノラッパー』が大きな話題を呼び、ゆうばり国際ファンタスティック映画オフシアター・コンペティション部門グランプリ、第50回映画監督協会新人賞など多数受賞。2010年に同シリーズ『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』、2012年に『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』を制作。2011年に『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』で高崎映画祭新進監督賞。『AI崩壊』(20)で日本映画批評家大賞脚本賞。 
その他の作品に『日々ロック』(14)、『ジョーカー・ゲーム』(15)、『太陽』(16)、『22年目の告白-私が殺人犯です-』(17)、『ビジランテ』(17)、『ギャングース』(18)、『シュシュシュの娘』(21)、『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』(23)など。

画像5: 余計なキャラクター付けはいらないと直感で悟った稲垣吾郎

『あんのこと』6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開

画像: 映画『あんのこと』予告篇 6月7日(金)公開 www.youtube.com

映画『あんのこと』予告篇 6月7日(金)公開

www.youtube.com

<STORY> 
21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う。 
大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。 
週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた。ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現。杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──。

<STAFF&CAST> 
出演:河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎、河井青葉、広岡由里子、早見あかり 
監督・脚本:入江悠 
配給:キノフィルムズ  
© 2023『あんのこと』製作委員会 

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