映画『本心』は今と地続きにある少し先の将来、“自由死”を望んだ母の“本心”を知ろうとすることをきっかけに、進化する時代に迷う青年を映し出した革新的なヒューマンミステリー。平野啓一郎の同名小説を読んだ池松壮亮が全幅の信頼を寄せる石井裕也監督に話をしたことが企画のきっかけになった。池松が主人公の青年、石川朔也を演じている。様々なテーマが重層的に描かれる原作をどう映像化したのか、池松と朔也をどう作っていったのか、イフィーに仲野太賀をキャスティングした意図は? 石井裕也監督に語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

人間的な深みを表現するために朔也の心にも層を作る


──原作で描かれていない朔也の暴力性が映画では描かれています。

原作では母親が何度も「朔也は優しいから」と言っています。しかし、僕は朔也という人間の心に暴力の芽があると感じました。現に小説の中でも朔也自身が暴力の可能性を想像しています。つまり、暴力の萌芽はあって、それを発動させるかどうかは状況によるのだと思ったのです。

この作品はタイトルが『本心』ですから、人間的な深みを表現するために朔也の心にも層を作り、優しい人間の根っこにある暴力の可能性を考えてみようと思いました。


──池松さんはその点について何かおっしゃっていましたか。

池松くんは「この時代の表現として、朔也が暴力に訴え出るのは果たして是か非か」と言っていました。

ただ、暴力は人間の欲望と一緒で絶対になくならないし、最終的に力を使って自分の存在意義を確かめることはきっとある。もちろん暴力を肯定するわけではありませんが、人の「本心」を描くためには避けて通れなかったポイントだと思います。

画像: 人間的な深みを表現するために朔也の心にも層を作る


──朔也の暴力性だけでなく、リアル・アバターが暴力を依頼された場面もありました。これも映画オリジナルですね。

リアル・アバターという仕事が本当に世の中に登場し、リアル・アバターが自分より低い存在で、どんな指示でも出せ、自分に絶対的な匿名性があれば、『グラディエーター』(2000)みたいに人と人を争わせたり問題を起こさせたり、それを高みから見て楽しむというケースは間違いなく生まれると思います。いじめや卑猥なことにも利用されるでしょう。テクノロジーがどれほど進歩しても、人間の欲望は太古の昔から変わっていませんから。


──暴力だけでなく、人を見下し、言葉や態度で傷つける場面もありました。

今の世の中がすでにそうですよね。当たり前過ぎて言うまでもないですが、そこに自分の責任がなくなったときに発せられるSNSでの醜悪な言葉の数々。今の時代はその流れが止められないところまできていて、恐怖を感じます。


──池松さんとはいろいろ話し合いながら朔也を作っていかれたのですね。

今回は池松くんが先に原作に反応していたので、答え合わせのようなことをしていないつもりでしたが、池松くんは「結構、話をした」と言っていました。


──監督としては池松さんが作ってきた朔也を現場でジャッジしたという感覚だったのでしょうか。

企画が立ち上がってから撮影までに時間があったので、最初は朔也を太らせようかという話もありました。ファーストフードのような安いものばかり食べて太ってしまった朔也が汗をかきながら走っているイメージがあったのです。しかし「やっぱり違うね」など、いろいろ話しているうちに紆余曲折を経て朔也像を明確にしていったので、そういう意味ではいろいろ話をしていたのかもしれません。

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