第二次世界大戦が終わり、日本に自由と平和が戻ってくると、海外から徐々に映画が輸入公開されるように。するとそこに出演してるスターたちも日本にやってくるようになり、娯楽を享受するようになった国民も彼らを大歓迎するようになっていた。
最初は朝鮮戦争などに従軍する米兵たちの慰問に向かうスターたちが、途中で立ち寄るなどのケースが多かったが、昭和30年代になると日本にエキゾチックな魅力を感じたハリウッドがロケにやって来るようになり、マーロン・ブランドやジョン・ウェイン、ショーン・コネリーといったスターが撮影のためにやって来た。さらに昭和40年ころになると『モン・パリ』のカトリーヌ・ドヌーヴや『ポセイドン・アドベンチャー』のジーン・ハックマンのように新作宣伝のために主演スターがやってくることが頻繁になって来る。
東京でのキャンペーンなど仕事が終わると(時には始まる前に)京都など伝統的な日本文化に触れたがるスターも増えてくる。本誌でもドヌーヴ、ジョディ・フォスターや、オードリー・ヘプバーン、ジェニファー・コネリーなどその旅行先まで密着取材することがたびたびあった。昭和50年ころになると来日する映画人の数も飛躍的に増加。日本が海外映画にとって上客になったせいもあるが、日本でのキャンペーンが欠かせない宣伝方法になったかのようだった。ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォードら大物が初来日するようになり、マイケル・J・フォックスやソフィー・マルソーのようにまだ日本で知られていない“新人”を招いて本誌などメディアに露出し、公開前に認知度を上げるための宣伝来日も多かった。舞台挨拶やレッドカーペットでのファンサービスなどが定番になってくるのは平成以降のお話し。ここに並んだ昭和時代の来日スターたちのスナップは、今ではなかなか見られない風景として歴史的にも貴重という意味を持ち合わせている。
※本記事はSCREEN2025年6月号の記事の一部を掲載しています。
昭和20年代(1945-1954)

マリリン・モンロー
日本中で話題を呼んだマリリン・モンローの来日は昭和29年。野球選手ジョー・ディマジオとの新婚旅行だったが、連日ホテルにはマスコミが押し寄せた。

ボブ・ホープ
喜劇「腰抜け」シリーズで人気だったボブ・ホープ。戦後最も早い時期に来日したスターで、昭和25年に米軍兵士慰問などチャリティを目的に米軍機で羽田空港に到着。

ジェラール・フィリップ
昭和28年、「第1回フランス映画祭」のため当時大スターだった仏男優ジェラール・フィリップが来日。行く先々でファンに囲まれ、その紳士ぶりが評判に。

クラーク・ゲーブル
『風と共に去りぬ』で有名なクラーク・ゲーブルは昭和29年、新作の撮影で当時英国領だった香港ロケに向かう途中に来日し大歓迎を受けた。