奥平大兼と出口夏希がW主演する『か「」く「」し「」ご「」と「』は『君の膵臓をたべたい』の原作者・住野よるのベストセラー小説の実写化である。自分に自信が持てない主人公の片思いを軸に5人の高校生の葛藤を描いている。『少女は卒業しない』の中川駿監督が原作者の思いに応えた脚本を書き、その世界観を映像化した。SCREEN ONLINEでは中川監督にインタビューを敢行。作品への思いや監督独特な演出について語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

現実と地続きの世界観で描きたい


──メインキャストの出演が決まってからの顔合わせはどのようにされましたか。

全員一緒ではなく、それぞれが決まったタイミングで顔合わせをしていました。僕が20歳くらいのときは大人とまともに話せませんでしたが、みんなしっかりしていましたね。役について自分が理解できるところ、できないところをしっかり話してくれたのです。僕の作品へのアプローチのスタンスについて話したところ、真摯に話を聞き、理解もしてくれました。


──先程、監督には理解しやすいキャラクターがいれば、理解しにくいキャラクターもいるとおっしゃっていましたが、いちばんわかりやすかったのはどのキャラクターでしょうか。

いちばん近いのはヅカですね。 “こういう言えばハマるだろう”など、人の気持ちやリアクションを考えて自分の振舞いを決めるところが僕にもあるのです。

ただ僕とヅカには大きな違いがあって、ヅカは“自分を見失ってしまう”と悩んでいるのです。僕はそこに悩んでおらず、むしろ楽しんでやっている。僕とヅカは微妙に違いますが、基本的なところは似ているので、ヅカとしての佐野くんとはコミュニケーションが取りやすかったです。

反対にいちばん難しかったのは京くん。自分の中ですごくネガティブに考えを巡らせて行動選択するので、その選択はこじらせたものになる。“何でそうしちゃうんだ”と僕には理解し辛いところがありました。ただ、そこは奥平くんも同じだったようで、彼も悩んでいたので、奥平くんが演じる上で腑に落ちるところを2人で話し合いながら探っていきました。


──奥平さんは元々京くんみたいな方かと思うくらいハマっているように見えましたが、実は違うのですね。

役作りの結果ですね。奥平くんの役作りは細やかなんです。台本に書かれている動きやセリフの部分で京くんっぽいのはまだわかりますが、佇まいや脚本に書かれていないところの動きまでも自然と京くんになっていました。クライマックスで図書館の中を走るのですが、本気でやっているのか、役でやっているのかわからないくらい野暮ったい走り方をしていました。

奥平くんが「京くんは自分とは真逆だけれど、共感できる部分はある」と言っていました。ですから彼にとっても、京くんを演じるのはチャレンジだったと思います。

画像1: 現実と地続きの世界観で描きたい


──女の子のキャラクターについてはいかがですか。

分かりやすさではやはりパラですね。ヅカと同じマインドの持ち主なので、そこは共通するものがありました。

分かりにくさでいえばエル。京くんと同じで、こじらせてこじらせて突拍子もない判断をしてしまう。そこの理解は難易度が高かったです。


──キャラクターによって、人と向き合うときの姿勢が変わるように演出されたそうですね。

この作品を非現実的なものではなく、現実と地続きの世界観で描きたいと脚本を書いているときから思っていました。しかし、5人のキャラクターははっきり分かれているので、キャラ付けはしなくてはなりません。そこでセリフや行動でキャラを説明していくのではなく、印象の部分を操作しようと思ったのです。

人の印象は顔の向きと体の向きの組み合わせで、いくらでも変わります。具体的には、ミッキーのように、頭と心が一致している子は相手にしっかりと顔と身体の両方を向けて話をするけれど、表向きと内面が異なるヅカやパラは顔だけが向いていて、京くんやエルのように向き合いたいけれどできない子は、身体は相手に向いているけれど、顔は下がるようにしました。原作のキャラクターを活かしつつ、さり気ない動きでキャラを印象付けて、リアルな世界観を作ったのです。

画像2: 現実と地続きの世界観で描きたい


──監督の作品では、“ここは遊んでもらってもよさそうだ”と思ったシーンはあえてセリフを空白にして、現場で生まれた自然なリアクションを大事にされていると聞きました。

僕はすでに年齢を重ねてしまっているので、10代のリアルがわからなくなってきています。その中でリアリティのある10代の芝居を作っていくには、キャストが自然だと感じるように演じてもらうのがいちばん。だからあえて僕の考えを押し付けないし、自由に演じてもらうことにこだわっています。

これが僕のいつものスタンス。もちろん、物語に必要な要素に関しては脚本に書きますが、ちょっとしたリアクションや何を言っても成立するところはあえて「 」を空白のまま残しておきます。キャスト自身も“どう自由に演じようかな”と考える過程で、キャラクターに対する理解度が深まります。

このスタンスは顔合わせのときに話すようにしています。「僕が絶対に正しいとは思っていないし、年齢が近いみなさんの方がリアリティという点では正解なこともある。“おかしい”とか“こうした方がいい”と思うところがあったら遠慮しないで言ってほしい」と伝え、現場でもそういう意見を出しやすいような雰囲気作りを意識しています。


──今回、キャストの自由な演技をご覧になり、自分には書けなかったと思ったところはありましたか。

僕の感覚も意外とまだ通用したなと思いました(笑)。

いちばん印象的なところは、物語の折り返しくらいの文化祭が終わって、5人でカラオケに向かって走り出すところです。最初は「京くんが何かを言うと、みんなが走り出す」としていましたが、何を言ってもしっくりこない。奥平くんだけでなく、他の4人も交えて話したときに、「そのひとことは京くんではないよね」ということになり、パラが「よし、京くん、ダッシュだ。よーいドン」といって、強制的にみんなが走り出すというところに行き着きました。それは5人で話したからこそ生まれた瞬間でしたし、この作品にすごくハマっていたと思います。

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