映画的な外連味をできるだけ削ぎ落として、シンプルに!
──本作の監督を引き受けられたときの気持ちからお聞かせください。
モデルになった体罰事件は「そういう事件、聞いたことがあるな」というくらいの記憶でしたが、福田さんの本を読んでみたら、すごく興味深かったのです。あの頃にこんなことがあったのに、自分はそれすら忘れていたということにも驚きましたし、登場人物たちがみんな、律子さんや拓翔くんも含めて、自分の中に似たものがあるような気がして、何となくだけれど理解できる。どんなフィクションで作り上げた人物よりも不思議な魅力があり、人間って面白いなと思いました。なんか生っぽい、不思議な感覚でした。
ただ、福田さんは法廷にほぼ全て通われましたが、裁判が終わっても完全に理解し切れない部分があり、つぶさに取材をされても真実を暴けず、“恐らくこうではないか”と朧げに見えるところまでしか辿りつけなかった。ルポでも、「この事件ではこういうことがあり、その原因はこうだった」と安易に答えを出していない。むしろ「これを読んで面白いと思った人も、読むまではこの事件のことを忘れていましたよね?」と突き付けられた気がして、自分自身の中にある怖さを掘り起こされました。その感触も含めて、魅力を感じたのです。福田さんのルポだから監督ができたのかもしれません。実際にあった事件だけを題材にして映画にするのは自分には無理だった気がします。

──脚本開発や演出ではどのようなことを意識されましたか。
映画的な外連味を一旦できるだけ削ぎ落としてもらい、根っこにあるシンプルな部分だけにしました。そして、“殺人教師”という言葉で世間の人がイメージする人物を冒頭に映像で見せて、「こういう人がいたってことですよね?」ということを提示したのです。でも、それを見ると「さすがにこれはあり得ない」と思いますよね? その上で、「どうも真実は違うようです」と最初に戻って、改めて一から始めて、後は時系列に淡々と進んでいく。最終的に法廷になりますが、法廷も法廷劇としてのエンターテインメント性はできるだけ排除しました。
というのも、あまりにも登場人物が面白すぎて、下手な演出は必要ないのです。音楽もできるだけ中立というか、シンプルにしました。登場人物の心が動く前に誘導するように音楽や効果音をつけるべきではないというのは普段から考えてはいるのですが、今回は特に「音楽で感動を導いたりしない」ということを意識しました。

──監督のこれまでの作品とは作り方がかなり違うのでしょうか。
そんなことはありません。登場人物が違うだけで、作り方としては先日撮った「新・暴れん坊将軍」(2025年、テレビ朝日)も同じです。暴れる人が出てくれば、バイオレンス性がアップしますが、この作品はそれがなく、フラットな感じ。フラットだからこそ、登場人物の狂気性が際立ちますし、共鳴できる部分には素直に反応できます。
映画は役者の演技やその他のいろんなものの影響を受け、自分が予測していなかった部分が増幅されてしまうこともあります。それは事前に計算できず、不安定な要素ではありますが、自分はそういうやり方で映画を作ってきました。そういう意味でもこの作品を作るにあたって、「こうしなきゃ」とか「こうでなくては」というのはありませんでした。
ただ、原作のある作品には原作者がいて、ファンがいます。できれば、そういう人たちを失望させたくないし、させてはいけない。何もないところから作り上げた人たちに敬意を表し、その人たちが見て、楽しんでもらえるものにしたいという思いはあります。

──この作品の原作者である福田さんに楽しんでいただけましたか。
福田さんにはそれぞれの俳優を褒めていただきました。福田さんは映画を見ながら、作品そのものではなく人を見ている。しかも、全員をちゃんと見て、細かい動きまでしっかり把握されていたのです。福田さんのようにルポを書く方は見方が違うと思いました。
福田さんは実際の登場人物を全員、知っており、会って話したことがある人もいます。顔やキャラクターが違うのがわかっているので、お客さんとしてはいちばん遠いところにいます。そもそも、先生の原作をみても、ビジュアルからして違うようです。普通なら、その違いに戸惑うでしょう。律子さんにしても、モデルとなった人の姿を法廷で見て、取材もされていますから、映画を本物と比較して見てしまいがちですが、福田さんはあくまでもフラットなのです。登場人物そのものに興味を持たれて、「あのような瞬間ってあったんですよ」とおっしゃってくださったのです。
それを聞いたときに、ホッとしました。きちんと見る人は登場人物が破綻しているのに気づいたら、その途端に興味を失うはず。しかし、フェイクの中の人物に興味を持って、最後まで見て、演じた俳優の芝居、才能を客観的に褒める。そんなこと、俺にはできません。自分は福田さんの言葉を聞き、仕事を終えたと感じました。今後、お客さんがどんな風に判断するかは自分ではどうしようもない。そこはお客さんに委ねるしかないですからね。
