阿部寛主演『俺ではない炎上』はSNSで根拠の乏しい情報が真実とされ、大きな事件へと発展するという現代ならではの冤罪の恐怖を描いた作品である。原作は第36回山本周五郎賞候補にもなった浅倉秋成の同名小説で、山田篤宏監督がメガホンを執った。公開を前にSCREEN ONLINEでは山田篤宏監督、原作者 浅倉秋成氏にインタビューを敢行。作品に対する思いを聞いた。(取材・文/ほりきみき)

長ネギのエピソードが作品のトーンを決めた


──原作も映画もとても楽しませていただきました。実は先に小説を読むか、それとも先に映画を見るか、すごく迷いました。山田監督は原作と脚本のどちらを先に手にされたのでしょうか。

山田篤宏監督(以下、山田):原作が先でした。まだ脚本が形になる前に紹介していただき、一読者として読んだのです。その時点では監督を務める話はなかったものの、「映像化されるかもしれない」という前提で読みました。SNSという現代的なテーマを扱っていますが、決して敷居は高くなく、本格的なサスペンス・ミステリーでありながら、どこかユーモアを感じました。

──浅倉先生は事前に「映画化するならここはこうしてほしい」といった要望は出されたのでしょうか。

原作者 浅倉秋成先生(以下、浅倉):特に希望はありませんでした。映像化される以上、変更が必要な部分は必ず出てきます。僕が「ここは絶対こうしてほしい」と言ってしまうことで現場の方々のアイデアを縛ってしまうのが一番怖かったのです。だから余計な口出しはせず、山田監督に初めてお会いしたときも「思い切り自由にやってください。僕からNGはありません」と伝え、現場に委ねました。

画像: 長ネギのエピソードが作品のトーンを決めた

──この作品にはあるトリックがあるので、映画化は難しかったと思います。脚本家の林民夫さんと脚本開発をされる中で苦労されたところはありましたか。

山田:トリックに関しては、僕が入った段階ではすでに筒井竜平プロデューサーと林さんの間で核となるアイデアが固まっていたので、そこまで大きな苦労はありませんでした。林さんは超ベテランの脚本家ですから、その辺りはむしろ安心してお任せしていました。

ただ、原作にあった世代間闘争的なテーマは、改変によって必然的に少し薄まったので、そこをどう扱うかは考えました。原作はSNSをテーマにしているものの、最終的にあまり糾弾しすぎず、一歩引いた視点がありました。そこに僕は共感したので、映画でもその距離感を大事にしたかったのです。

また、原作にはあったユーモアも大切にしました。具体的には「長ネギ」のエピソードです。脚本の初稿にはなかったのですが、原作を読んで「あれがあるかないかで作品全体のトーンが変わる」と思い、林さんに相談しました。すると林さんは原作にない「車の中まで長ネギを持っていく」という要素まで足してくれました。

──原作を読んでいるときも「なぜ、長ネギ?」と思いながらも笑ってしまいました。とてもユーモラスな小道具ですね。何か深い意図があったのでしょうか。

浅倉:インタビューでもよく「なぜ長ネギなんですか」と聞かれますが、特に深い意味はありません。「古代サンスクリット語でどうこう…」というようなものではなく(笑)。昔、初音ミクが長ネギを持つ動画が流行りましたけれど、それが由来というわけでもないのです。郵便受けからはみ出ているのがゴボウよりは長ネギの方が色鮮やかで目立つし、面白い。挿し込まれた当事者にとっては面白くないけれど、入れた人たちは笑う…そのバランスを探した結果、長ネギになりました。そこに共感していただけたのはうれしいです。

山田:実は撮影では長ネギを入れるシーンと取り出すシーンの撮影日が別になり、ネギがどうやっても繋がらなくなるので、「だったらいっそたくさん入れちゃえ」という流れになりました。結果として印象的な要素になったと思います。

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