少年たちのささやかな冒険旅行がなぜここまで長く愛されるのか

1959年、オレゴン州の小さな町キャッスルロック。小学校を卒業したばかりのゴーディ、クリス、テディ、バーンの親友4人は、ある情報を聞きつける。30キロほど離れた町で列車にはねられた少年の死体が誰にも発見されず、野ざらしになっているというのだ。「死体を発見すれば、町の英雄になれる!」意気込んだ4人は、線路を辿って冒険の旅に出る…。
今年、製作40周年を迎える『スタンド・バイ・ミー』。日本では1987年に公開されると、多くの映画ファンの支持を集め、スクリーン本誌の読者投票でも年間第1位に輝いた名作だ。当時は『トップガン』や『プラトーン』といったヒット作が続々と公開され、洋画の国内興行シェアも50%を超える勢いのあった時代。既にオールディーズ扱いだったベン・E・キングの主題歌もリバイバルヒットし、筆者の周りでも多くの友人が映画館に足を運んだことを覚えている。(ちなみに、当初は主題歌をマイケル・ジャクソンがカバーする計画があり、本人にもオファーしていたらしい。)以来、テレビで繰り返し放送され、「午前十時の映画祭」でもたびたび上映されるなど、時代を超え、世代を超えて愛されてきた。

わずか二日間の少年たちのささやかな冒険物語が、これほど支持されるのはなぜだろうか。もちろん、「誰もが一度は経験する少年時代の友情と冒険の物語が、ノスタルジーを掻き立てる」という定説はその通りだ。だが、そこには理由がある。
原作は、スティーヴン・キングの小説「THE BODY(死体)」。キング自身の少年時代の体験をヒントにした物語で、主人公となる少年4人のうち、後に作家となるゴーディにはキング自身が投影されている。さらに、映画化に当たって監督のロブ・ライナーもまた、ゴーディに自分自身を重ねる。4人はそれぞれ家庭に問題を抱えており、ゴーディは、事故死した優秀な兄に劣る自分は、両親から愛されていないと感じている。彼らと同世代のライナーも、同じように父カール・ライナー(コメディアン、監督、脚本家として活躍)から認められていないという、満たされない気持ちを抱えていたのだ。
観客ひとりひとりが自身の失われたかけがえのない出会いを思い出す
そして、少年4人のキャスティングについてライナーは、「子どもには、自分とかけ離れた役は演じられない」と、役に似た境遇の子どもたちをオーディションで選抜。例えば、第二次世界大戦に出征した父が精神を病み(現代ならPTSDか)、家庭が崩壊しているテディ役には、同様に荒んだ家庭で育ったコリー・フェルドマンを起用、といった具合だ。(コリーは当時の心境を、「親から離れられて、自由を得た気分だった」と後に振り返っている。)同様に、クリス役のリヴァー・フェニックス、ゴーディ役のウィル・ウィートン、バーン役のジェリー・オコンネルら煌めく原石たちが発掘された。

出演が決まると4人は、足りない演技経験を補うため、事前に合宿形式でトレーニングを実施。その間、彼らは絆を結び、劇中の親友としての関係を作り上げた。その成果として、普通なら子役には難しい長回しの撮影が実現。それにより、カットを割らずに4人を同一のフレームに収められたことが、親友同士の親密さと冒険のリアリティに繋がり、印象深いシーンの数々が誕生した。こうして振り返ってみると、幾重にも重なった原作者、監督、キャストたちの思いが、本作を珠玉の作品へと押し上げたことがわかるはずだ。
また、この物語が新聞記事でクリスの死を知った後年のゴーディの回想形式で描かれていることもポイントだ。その郷愁を誘う語り口は、年月を重ねるにつれ、味わいを増していく。劇中で報じられるクリスの死に、早逝したリヴァー・フェニックスの姿を重ねるファンも多いだろうが、今では昨年のロブ・ライナーの死も同様に重なってくる。さらに、人生経験を重ねた観客ひとりひとりが、自分にとって失われたかけがえのない出会いを思い出すに違いない。その尊さを描いているからこそ、『スタンド・バイ・ミー』は時代を超え、名作として語り継がれてきたのだ。

『スタンド・バイ・ミー』
デジタル配信中/ブルーレイ発売中 2,619円(税込)
権利元:株式会社ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売・販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング
© 1986 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
