佐々木蔵之介と作り上げた、時代を動かす“愛すべき変人”
──主人公・大倉太吉を佐々木蔵之介さんが演じています。キャスティングは監督のご意向ですか。
いえ、私が最初に決めたというより、プロデューサーから「佐々木蔵之介さんでどうか」と名前が挙がり、「それはいいね」と自然に決まっていきました。佐々木さんには、どこか飄々とした軽やかさやユーモラスさがあります。太吉の雰囲気を大げさにならずに表現できる方だと思い、何の不安もありませんでした。
大森一樹さんの作品に出てくる人物はどこか“軽やかさ”を持っていることが多いんです。医者という立場でありながら、どこか肩の力が抜けているような人物像ですね。佐々木さんには、まさにそういうニュアンスを期待していました。
また、ライバルの漢方医・玄斎役として内藤さんも出演されていますが、内藤さんは真剣に演じているのにどこかおかしみがある、独特の魅力を持った方です。しかも大森作品にゆかりのある俳優ですから、そうしたバランスも意識しながらキャスティングされていると思います。

──太吉を描くうえで、佐々木さんと共有したキャラクターの核は何でしたか。
太吉は一言で言えば、“愛すべき変人”なんです。やはり時代を動かしていくのは、どこか常識からはみ出したような人間だと思うんですよね。いわゆる変わり者、でも人を惹きつける魅力がある存在です。
たとえば、ちょっと独特な感性で突き進むような人物——そういう人たちが結果的に時代を前に進めていく。太吉もまさにそういうタイプとして捉えていました。
佐々木さんとは、「あまり真面目に構えすぎないこと」が大事だという話をしました。どこか力の抜けた、少し風変わりな空気を自然にまとっていること。その“ズレ”や“軽やかさ”をどう表情や佇まいで出していくか、という点を共有していましたね。

──現場での佐々木さんはいかがでしたか。
演出意図を理解するのがとても早い方でした。細かく説明しなくても、「ここをこうして、少し歩いてから振り返る感じで」といったことを伝えると、すぐに「なるほど、分かりました」と掴んでくださる。とてもやりやすい俳優さんです。
お互いにやろうとしていることが自然と共有できていたので、実はあまり多くを語らなくても成立していました。こちらの意図も伝わっていますし、佐々木さんがやろうとしていることもこちらに伝わってくる。だから、現場で細かく詰めるようなやり取りはほとんどなかったですね。
その分、待ち時間にはよく雑談をしていました。佐々木さんは旅がお好きで、海外にもよく行かれているので、「どこが面白かったですか」といった話をしたり。私も昔はドキュメンタリーで世界を回っていたので、そんな話で盛り上がっていました。そして、いざ撮影に入ると、「こんな感じで」と伝えるだけで、すっと形にしてくださる。とてもスムーズで、現場で揉めることもなく、撮影は順調に進みましたね。

──雰囲気のいい現場だったのですね。佐々木さんはリハーサルにも積極的に参加されたと聞きました。
リハーサルには若手に付き合う形でお願いしたのですが、佐々木さんは「いいよ」と自然に入ってくださって、とてもありがたかったですね。(藤原)季節くんにとっては、いい刺激になったんじゃないでしょうか。現場でどんなやり取りがあったか細かくは見ていませんが、同じ空間で芝居を重ねること自体が、学びになったはずです。
私は、俳優にはある程度自由に“企んで”もらうのが好きなんです。ですから若手に対しても、「いろいろ試していい」「自由にやってみよう」と背中を押していました。そうすると、面白がってどんどん挑戦してくれるんですよ。
大事なポイントさえ押さえていれば、あとは俳優同士のやり取りに委ねる。いわばライブセッションのような感覚です。そうした即興性や化学反応が生まれる現場は、私にとって理想的ですし、今回はまさにそれが実現できた手応えがありました。

──太吉と玄斎が15年を経て、「この間までは先頭を走っていたと思っていたが、今は一等後ろをついていくのがやっと」「誰もが後ろへ後ろへと押し流されて消える」と語り合う縁側のシーンは監督自ら追加されたと聞きました。このシーンを加えた意図を教えてください。
あのシーンは、かなり自分自身に向けて作ったものなんです。
物語としては、玄斎が病から回復した後の場面ですが、そこで描きたかったのは「時間の残酷さ」や「時の流れ」です。人は誰しも、かつては先頭を走っていると思っていたのに、気がつけば後ろに押し流されていく——そうした感覚は、年齢を重ねるほど強くなっていきますよね。
それは私自身の実感でもありますし、同時に大森一樹さんの歩みとも重なっています。若い頃、日本映画界に颯爽と登場したスターが、やがて第一線で活躍し、教育者となり、そして老いと病を経て亡くなっていく。その流れは当然のことではあるのですが、やはりどこか切実なものがあります。
また、映画そのものも時代とともに変わっていきます。自分たちが若い頃に観ていた映画と、今の映画は違う。だからこそ、若い世代にバトンを渡していくことや、自分が取り残されてしまうのではないかという不安は、誰しもが抱えるものだと思うんです。
そうした感覚を、医者という“人を救う側”の人物が抱くことに意味があると感じました。原案にもそのニュアンスはありますが、今回はより明確にしたいと思い、西岡さんにお願いして書き足していただきました。
そして、その後の場面で、「時代を担っていくのは若い人たちだ」と分かっていながらも、「それでも寂しい」と笑いながら口にする——その複雑な感情も大切にしたかったところです。理解しているけれど、割り切れない。その人間らしさが、あのシーンには込められています。
普段は楽し気に悪口を言い合っている太吉と玄斎ですが、本当は互いのことを認め合っている。そういう空気感は、大森さんと西岡さんの関係にも少し重なるところがあって、もしかすると西岡さんが無意識に反映されたのかもしれません。

──佐々木さんと内藤さんのお芝居から、割り切れない寂しさがじわっと伝わってきました。
人は生まれるときも死ぬときも、肩書きなんて関係なく、ひとつの存在として向き合うことになりますよね。どれだけ偉大な映画監督でも、立派な政治家でも、一人の人間として生まれ、死んでいく。そういう根源的なことを、この作品では自然に感じてもらえたらと思っていました。
医者という存在は、その「生」と「死」のあいだに立つ職業ですが、だからこそ彼ら自身もまた、命や生きることについて考えざるを得ない。実際、私自身も年齢を重ね、入院や手術を経験する中で、そうしたことを強く考えるようになりました。
この作品の撮影前に、私も心臓の手術で入院していたんです。大きな手術ではありませんでしたが、病院のベッドにいると、どうしても「生きるとは何か」といったことに思いが向かいます。そんなとき、よく音楽を聴いていました。若い頃に聴いていたロックやフォークなどを流していると、まるで走馬灯のように過去の記憶がよみがえってくるんです。「このまま死ぬのか」とふと考えてしまったりして(笑)。もちろん、「いやいや、これから撮影があるんだから」と自分に言い聞かせるわけですが、そういう感覚はやはりどこかに残りますよね。
だからこそ、この映画の中では、幕末という混沌とした時代を生きる人々が、そうした“生と死”の重さを抱えながらも、それをどこかユーモラスに受け止めている姿を描きたいと思いました。重いテーマであっても、軽やかに描く——それが結果的に、大森一樹さんへのひとつの応答にもなっているのではないかと感じています。

