言葉を超えた桜田ひよりの身体表現のリアリティ

──田中信子役に桜田ひよりさんを起用した決め手は何だったのでしょうか。桜田さんが持つ「信子らしさ」について教えてください。

ひよりさんとは今回で3度目のタッグになります。彼女がこれまで演じてきた役柄やパブリックイメージからすると、一見、控えめな信子とは少し距離があるように感じる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、僕自身は、彼女の本質的な部分は信子と非常に近いものがあると感じていました。

信子は人間関係に対して前向きになろうと努力しながらも、あと一歩が踏み出せずに足踏みしてしまうキャラクターです。一方でひよりさんもどんな人に対しても、常に思考を巡らせながら、その人との関わり方や紡ぎ出す言葉の選び方を慎重に探っている。人とのコミュニケーションにおいて、その人をよく見て、常に「良い兆し」を求めながら、真っ直ぐに相手と向き合おうとする感覚を持っています。そうした、人との繋がりに希望を見出そうとする姿勢がキャラクターと精通しており、彼女なら信子の心の機微を託せると確信していました。

──監督の中では、桜田さんはパブリックイメージよりも、むしろ信子に近い本質をお持ちだという確信があったのですね。

これまでの作品でご一緒してきた経験から、むしろこの信子というキャラクターを通して、ひよりさんの内側に眠っている「不安」や「心もとなさ」、あるいは「戸惑い」や「迷い」といった感情を見てみたい、という僕自身の強い興味があったんです。

彼女が普段見せている姿の奥底にある、そうした繊細な揺らぎをこの物語で引き出してみたい。その思いが、彼女に信子を託した大きな動機になりました。

──桜田さんとは、信子というキャラクターをどのように作っていきましたか。

僕は現場に入る前に、それぞれのキャラクターの生い立ちや背景を記した「履歴書」のようなサブテキストを作成して、キャストの皆さんにお渡しするようにしています。信子に関しては、衣装合わせやヘアメイクの段階から、そのサブテキストをベースにじっくり対話を重ねていきました。

本作が「自己受容の物語」へと向かっていくプロセスを描く中で、信子には“自分を厳しく律しているルール”のようなものがたくさんあるという話をひよりさんと共有したんです。それは、彼女自身が「自分は特別ではない(モブである)」と思っているからこその現れかもしれないし、それが結果として、人への歩み寄りを躊躇させている原因にもなっている。自分を厳しく見つめる彼女の目線を、まずはしっかりと捉えていこうという共通認識を持って現場に入りました。

──現場では具体的にどのような演出をされたのでしょうか。

向かうべきゴールが共有できていたので、具体的な演技指導というよりは、信子の内面を揺らすであろう「状況」をいかに作るか、という環境づくりに注力しました。誰かの問いかけ、視線ひとつに対して、さまざまな返答を脳内シュミレーションしてしまう信子にとっては、自分と他者の程良い距離を守り、自分を減点せずにいられる状況が大切です。けれど、信子が自身に芽生えた「願い」に気づき、動き出したとき、そこには鮮度100%の葛藤があるはずで。あらゆる環境のなかで、ひよりさん演じる信子がどう反応し、どう動いていくのかを見つめ続けた撮影でした。

また、今回はモノローグ(心の声)を多用しないと決めていたので、その分、感情を手足の動きといった「ディテール」にも昇華してもらうようお願いしました。信子の震える手や、躊躇する一歩。そうした細かな機微に光と影をうまく乗せることで、彼女の心象風景を表現したいと考え、撮影チームとも密に連携してアプローチしていきました。

──本作には足元や手元を映すことで信子の心情を表現するシーンが多かったのには、そういった理由があったのですね。

信子が見ている世界、その「視点」そのものを映像の中に組み込んでいきたいという思いがありました。

例えば、初めてレジ打ちを任されたシーン。緊張のあまり、信子はついうつむいてしまいますよね。その時に彼女の視界に入るもの……ギュッと握りしめられた手や、落ち着かない足元。それらは些細な動きですが、言葉以上に彼女の緊張や心の揺れを饒舌に語ってくれます。

人との距離を測る時に、無意識にあとずさってしまう一歩。そうした「一挙手一投足」が表現できる情報の大きさ、感情の重さというものを、この作品では特に大切に扱いたかったんです。顔の表情を映さずとも、身体の末端の動きだけで信子の鼓動が伝わってくる。そんな「主観的なリアリティ」を追求した結果、自然と足元や手元にカメラが向いていきました。

画像: 言葉を超えた桜田ひよりの身体表現のリアリティ

──言葉ではなく身体で感情を表現するというのは、演出するのも演じるのも非常に難しいのではないでしょうか。

ひよりさんは言葉と言葉の間にある何気ない動きで、感情を表現するのがとても得意な方なんです。入江くんと対峙して話している最中に、無意識に動いてしまう手元。そうした細かな挙動こそが、信子の内面をより雄弁に表現してしまうのです。

先ほど足元などをフィーチャーするというお話をしましたが、僕自身「このタイミングでこのカットを挟む」といったルールを自分に課していたわけではありません。むしろ、ひよりさんが体現する身体の動きを、ある種「観察」させてもらうような撮影スタイルでした。彼女は本当に緻密で繊細に、指先一つにまで感情を乗せて表現してくれる人です。ですから、彼女の動きをじっと見つめながら「どう切り取れば、より信子の内面に迫れるだろうか」と、最適解を探していくような……そんな探求の時間を現場で過ごさせてもらったと思っています。

──桜田さんは原作の大ファンだと聞きました。信子というキャラクターについて、桜田さんから「こうしたい」といった提案はありましたか。

クランクイン前にじっくりお話しする機会を多く設けたのですが、特に印象的だったのは衣装合わせの時です。信子のクローゼットの中身を一着ずつ決めていきながら、彼女のキャラクターについて深く語り合いました。

信子は自己表現が不器用で、自分を表に出すことが得意ではありません。そんな彼女にとって、洋服はある種「自分を守るためのお守り」のような物なのではないか、という話をしました。安心できるものに包まれることで、なんとか自分を落ち着かせて日々を過ごしている。そんな前提を二人で共有していったんです。

劇中で誰かと出会い、様々な場所へ行く中で、信子の心がどう揺れ動いていくかという展開については、現場で共に一喜一憂しながら作っていき、最初から最後まで、同じ方向を向いて現場にいられたと感じています。

──最初に何か核のようなものを定めて、役を作っていったのではなく、現場で一緒に作っていったのですね。

あえて言うならば「足踏みをすることをネガティブに捉えすぎない」ということは、一つの指針だったかもしれません。

信子が足踏みしてしまうのは、決して彼女が後ろ向きだからではないんです。むしろ、前向きに人と関わろうとしたり、一生懸命に頑張ろうとしたりするからこそ、自分の中に葛藤が生まれ、その場に留まってしまう瞬間の摩擦熱が生まれる。そんな彼女の姿を、決してネガティブなものとして描かない。そこは、映像を作る上でも、ひよりさんと役を作っていく上でも、大きな前提としてあった気がします。

This article is a sponsored article by
''.