クラシカルなJホラーを令和にアップデートする──山元環監督が語る『呪いのスマホ』の核心
──前作『この夏の星を見る』での「コロナ禍でのオンラインの繋がりと青春」から一転、今作では「スマホを通じた絶望的な繋がりと恐怖」を描かれています。この対比的なテーマに挑まれたのはなぜでしょうか。
前作『この夏の星を見る』がかなり爽やかな青春映画だったこともあり、2作目ではもう少し体温や生々しさのある「血」を感じさせる、攻めたものに挑戦したいという思いがありました。
もともとホラー映画が持つ独自の演出手法──人をいかに怖がらせるか、死をどれだけ間近に感じさせるかといった表現には非常に興味があったんです。ヒューマンドラマや青春物では「人の感情」が演出の軸になりますが、ホラーは他ジャンルでは味わえない表現の振り幅がありますからね。
前作で培った青春の描写とホラー表現を掛け合わせたときに、どんな新しい科学反応が生まれるのか。自分の中にあるその好奇心こそが、今回の企画の出発点でした。

──監督は「2000年代以降、日本ではJホラーの正統派の系譜がなかなか出てきていないという印象があり、クラシカルでありながらも現代的なスタイルを目指した」と話されています。監督にとって「正統派のJホラー」とは、どんなものなのでしょうか。
僕が考える正統派のJホラーとは、『リング』や『着信アリ』のように「明確なルール設定」が存在し、観客がその制約の中で安心して物語に没入できるエンターテインメント作品のことです。
ホラーには、雰囲気の湿り気や尖った表現を楽しむ魅力があるとは思いますが、観客がアトラクション感覚で楽しめるような作品は、まだまだ少ない印象がありました。だからこそ今作では、かつてのJホラーが持っていた「ルールの中で恐怖を遊ぶ」というクラシカルな構造をベースに、令和の時代ならではのスピーディーなテンポ感を掛け合わせようと考えました。それこそが、僕たちの目指した現代的なJホラーのスタイルです。
──監督はそもそもホラーがお好きだったのでしょうか。
特別マニアというほどではないですが、昔から好きなジャンルでした。ホラーって「次はどこから来るだろう」と観客自身が想像力を膨らませながら観ますし、一瞬一瞬に分かりやすい刺激や期待が詰まっているんですよね。
ヒューマンドラマのように作品全体を通して受け取る映画も魅力的ですが、ホラーは「あのシーンが凄かった」と場面単位での印象が強く残る。非常にクリエイティブなジャンルだと感じていました。
実際に監督してみて強く実感したのは、「観客を怖がらせる」という目的さえブレなければ、表現の幅はどこまでも広いということです。人間の狂気を描くのも、超自然的な現象を描くのもすべてホラーとして成立する。そのアプローチの自由さこそが、ホラー映画の最大の面白さなんだと改めて実感しました。

──脚本は森野マッシュさんとの共同執筆ですが、ストーリーや恐怖演出を構築する上で、特にディスカッションを重ねたポイントはどこですか。
本来、「人が死ぬホラーの恐怖」と「青春のエモさ」は真逆の位置にあるため、この2つの食い合わせをどう成立させるかが最大の課題でした。
「誰かが死んでいく過酷な運命」の中で、いかにキャラクターたちの友情や青春の煌めきを描くか。脚本会議ではそのドラマの配置について何度もディスカッションを繰り返しました。
共同脚本のマッシュさんがキャラクター同士の距離感や関係性を巧みに構築してくれたおかげで、死と隣り合わせだからこそ深まる友情や青春感を表現できました。この反比例する2つの要素の融合こそが、今作の大きなオリジナリティになっていると感じています。
──スマホが呪物化した恐怖とSNSによる恐怖のバランスについては、森野さんとどのような話をされましたか。
SNS上の不特定多数の恐怖を描きすぎると物語の軸がブレてしまうため、あくまで「勝手に繋がってしまうこと自体の恐怖」にフォーカスしようと話しました。
現代の若者たちは、SNSやスマホを通じて常に誰かと繋がり続けており、情報過多による「繋がり疲れ」を感じています。「関係を断ち切りたいのに勝手に繋がってしまう」という現実のリアルな息苦しさ。その社会的な体験をそのまま“呪い”というホラーのロジックに変換しました。
この構造にたどり着いたことで、現代的なテーマ性を担保しながら、同時にかつてのJホラーにあった「シンプルな恐怖のルール設定」へときれいに落とし込むことができたと感じています。

