触れることはできても、溶け合うことはできない
──三束役に浅野忠信さんを熱望された理由として「特別さと凡庸さを併せ持つ存在感」を挙げられていますが、現場での浅野さんの佇まいや演技で特に驚かされた瞬間はありましたか。
浅野さんは、派手に怒鳴ったり泣いたりするような、ある種分かりやすい芝居をされるわけではないんです。なんだったら、本当に微動だにしていないシーンもある。でも、そこに“いる”ことができる。それって、すごく難しいことなんです。私も若い俳優さんとワークショップをやったりするんですけど、やっぱりそこに“いる”ということはすごく難しいんです。
編集室では撮った素材を見ながら作業するので、カットによっては本当に100回以上見ることになります。でも、浅野さんの芝居は何回見ても飽きないし、見る度に新たな発見があるんですよね。あれだけキャリアの長い方なのに、すごくフレッシュな佇まいでいてくださるというか。浅野さんが演じる三束を見ながら、編集の山崎梓さんと、「なんか宇宙人みたいですね」と話していたんです。『かぐや姫の物語』みたいに、月からやってきて冬子に出会って、告白されて、「もう無理」と月に帰ってしまうみたいな。そう思わせるくらい、なんというか、立ち入れないものがあるんです。壁を作っているわけでも、人と距離を置いているわけでもない。冬子といる時は嘘偽りなく誠実なのに、本質的には決して誰も踏み込めない何かを纏っている。その説得力が半端ではなく、浅野忠信さんという俳優の底知れなさと不思議さを痛感しました。
──冬子と三束の会話の中に「触れるということは、それ以上近づけないということ」といったニュアンスの内容がありました。岸井さんは以前「冬子は不満があっても、溜め込まずに“溶けちゃう”」と表現されていたそうですが、冬子と三束は触れることはできたけれど、溶けて混ざり合うことができなかった。「触れるしかできない」という距離感を表現できたのは、浅野さんだからこそだったと感じます。
冬子から「私は三束さんに触れていますか?」と尋ねられた三束が、触れるという現象について物理の言葉で返し、本質的なやりとりから逃げてしまう意気地なしのようなシーンですね。「溶けちゃう」というのは撮影前のイメージの段階でお話ししたことだったのですが、そうした関係性なのかもしれません。
この物語は物理の法則を借りて恋愛や関係性を語っていくのですが、そうしたシーンのリアリティの背景には浅野さんの徹底した準備がありました。現場には物理監修として、実際に高校の物理を教えていらっしゃる先生に入っていただいたのですが、浅野さんが「その先生に電話でお話を聞きたい」とおっしゃって。突然、俳優の浅野忠信さんから電話がかかってきたその先生も驚かれたと思いますが(笑)、浅野さんは「物理をちゃんと理解していないと演じられない」と、先生に話を聞いて理屈を叩き込んでいらっしゃいました。私なんかは資料を読んでふんわり理解した気になった程度だったので、空が青く見える理由についても浅野さんに教えていただきました。だからこそ、画面上の三束からは「自分が面白いと思っている物理の話を冬子に伝えたい」という熱量が滲み出ていたのだと思います。

──原作が書かれた2011年から、映画では2020年台へと時代が移されています。映画化にあたって、現代の感覚に合わせてアップデートした部分を教えてください。
川上未映子さんからも、「もう10年以上前に書いた本だから、古くなっていると感じた部分は変えていい」と言われました。なので、この物語を2020年台の映画にするならどういう人物像になるのか、どういう感覚になるのかを考えながら、いくつか変えていきました。
例えば、冬子が聖や香織からもらう香水を映画ではシャネルのNo.5にしています。これは流行り廃りに左右されず、10年後、20年後に観ても古びないものにしたいと思ったからです。
香水以外にも、改変はいくつかあります。例えば塩野瑛久さんが演じた大橋というキャラクターは、原作では聖からの伝聞として語られる程度で、直接登場する場面はありません。それに、もう少し根が素直な人物として描写されています。ですが、令和の時代に映画化するなら「タイパやコスパを気にしていそうな、一見感じが良いけれど本質的には冬子と対等に向き合う気がない男性」として描きたいと考え、立体化させました。明らかな悪人ではなく、何だったら紳士的なくらいなのに、そこはかとなく感じる威圧感、みたいな。

また、典子のキャラクター造形も見直しています。原作ではふくよかな体型に関する描写があり、迫力があって面白いのですが、私自身が地方で子育てをする中で周りを見ていると、SNSやネットショッピングの普及でみんなそれなりにオシャレだし、綺麗で垢抜けた人が多いんです。だけど、スマホやテレビから流れる情報の洪水に流され、子育てや家事に時間を奪われ、疲れ果てている。そんなリアルな令和の主婦像としてアレンジしています。

