やまもり三香の人気コミックを実写映画化した『うるわしの宵の月』。容姿端麗で「王子」と呼ばれる市村琥珀と滝口宵、二人の“王子”が出会い、不器用ながら少しずつ距離を縮めていく姿を描く。竹村謙太郎監督が目指したのは、マンガならではの華やかさを再現するだけではなく、その奥にある二人の「普通の人間としての揺れ」を丁寧に映し出すことだった。道枝駿佑と安斉星来が生み出した琥珀と宵の魅力、言葉をあえて削ぎ落とし、視線や仕草、触れるか触れないかという距離感で描いた二人の感情、そして本作に込めた“微熱”のような青春について、竹村監督に聞いた。(取材・文/ほりきみき)

“W王子”を実写化するために大切にした「実在感」

──原作はやまもり三香先生の人気同名コミックで、「W王子」と呼ばれる琥珀(道枝駿佑)と宵(安斉星来)の不器用で等身大の恋愛模様を描いています。“王子×王子”というユニークな設定を映像化するにあたり、最初に決めた演出の軸は何でしたか。

王道の恋愛映画だと「学校一のモテ男子」と「ごく普通の女子生徒」が出会う…というパターンが多いと思うのですが、今作はヒロインの宵もまた「王子」と呼ばれている点が非常にユニークですよね。ただ、原作を読み進めていくと、登場人物たちの外見の華やかさとは裏腹に、二人が実はすごくピュアで真面目で、どこかじれったい一面を持っていることに気づかされます。

物語の中で、サスペンスや事件のような大きな出来事が次々と起きるわけではありません。「王子と王子が秘密裏に付き合っていて、周囲にいつバレるのかヒヤヒヤする」といった話でもないわけです。だからこそ、二人の心情の変化や感情の機微をどこまで丁寧に掬い上げられるかが、演出の大きな軸になりました。

脚本の徳永(友一)さんとも「映画として1本にまとめるのはなかなか難しいね」と話していたんです。「W王子」という派手な設定がありつつも、二人の人間性を掘り下げていくと「あ、意外と普通なんだな」という等身大の姿が見えてくる。そのギャップや心の揺れを実写で表現するのは、非常に繊細な作業でした。

だからこそ、派手な展開に頼るのではなく、思春期特有の心の揺らぎや焦り、うまくいかないもどかしさを、地に足をつけて丁寧に描くこと。それを一番の軸として意識し、脚本作りの段階から強く留意していました。

──拝見する前は自分とはかけ離れた世界の話かと思っていましたが、いざ観てみるとすごく身近に感じられ、気づけば二人に深く共感していました。それは、そういった演出の軸があったからなのですね。

そこはまさに「マンガのキャラクターをどう実写に落とし込むか」という部分に繋がってきます。

例えば、琥珀の髪をプラチナブロンドにするという設定も、一歩間違えるとコスプレ感が出てしまったり、リアリティから遠ざかってしまったりするリスクがあります。そこを「こういう人、もしかしたら本当にいるかもしれない」と思わせる絶妙なリアリティラインに落とし込んでいく作業が必要でした。マンガでは1枚の絵で成立している感情を、映画では「時間」の中でどう見せるか。特に意識したのは、セリフよりも、目線や間、二人の距離でした。セリフや状況で説明しすぎず、かといって不自然にもならない。実在感を持たせるための“塩梅”を探ることは、脚本づくりの段
階から徳永さんとも何度も話し合いを重ねた部分ですし、一番難しく苦労したところでもありますね。

画像: “W王子”を実写化するために大切にした「実在感」

道枝駿佑が体現した、琥珀の“王子”と素顔

──今回、原作のビジュアルに合わせて道枝駿佑さんがプラチナブロンドになられたことも大きな話題を呼びました。ビジュアルや佇まいの面で琥珀というキャラクターを作り上げていく際、道枝さんとどのような会話を交わされましたか?印象に残っていることがあれば教えてください。

原作の琥珀って、どこかワイルドで危なっかしくて、「何を考えているんだろう?」と思わせるようなミステリアスな空気感がありつつ、実はすごく不器用な部分も持ち合わせていますよね。一方で、道枝くんのパブリックイメージといえば、どちらかというと繊細さや透明感という印象が強いかと思います。ただ、実際に接してみると、彼自身の中にも意外とそういう“無骨な一面”があると感じていました。道枝くんはもともと原作の大ファンだったこともあり、彼なりに琥珀という人物をしっかりと解釈して現場に臨んでくれていたのですが、過剰に自分を魅せようと「開示」しすぎない、絶妙な引き算の芝居をしてくれたのが印象的でした。

原作ファンの中には「(道枝くんだと)少し線が細いのでは?」と感じる方もいたのかもしれません。ですが、結果として彼は、琥珀が持つ無骨さや危なっかしさをしっかりと体現しつつ、自身が持つ圧倒的な透明感や不思議な引力を作品に吹き込んでくれました。それによって、ただの「手が届かない高嶺の花の先輩」ではなく、人間味あふれる一人の等身大の青年として、「こういうことで悩むんだな」「意外とかわいいところもあるじゃん」と思ってもらえるような、親しみやすく魅力的な人物像に落とし込めたと感じています。

──先ほど、コミックの実写化においてリアリティを持たせる難しさがあり、脚本の徳永(友一)さんと苦戦されたとおっしゃっていましたが、道枝さんが入られたことで、逆に琥珀という人物像がストンと立体的に立ち上がってきた部分もあったのではないでしょうか。

まさにそうですね。それは宵役の安斉(星来)さんに関しても同じことが言えます。お二人ともビジュアルが出た際に「原作のまんまじゃないか」という声が多く聞かれました。ただ、マンガ原作の作品はどうしても二次元の「型」がある分、役者をその型に無理やり寄せようとしてしまいがちなんです。ですが、型に綺麗に収まろうと固くなってしまうのは、映画として決して良いことではありません。むしろ、原作の枠からはみ出ていくような、キャスト自身が持つ個々の良さや魅力が滲み出ることこそが大事なんです。「変に枠に収まろうとせず、逆にはみ出していこう」ということは現場でもよく話していました。「はみ出る」ということは、役としても迷いや葛藤が生じるということですが、演じる上でわからないことがあれば、どんどん心が揺れていて構わない。「わからない部分は、わからないままでいいんだよ」と伝えながら、二人の素の魅力や感情の揺らぎを大切に、撮影を進めていきました。

──道枝さんから「ここの琥珀の気持ちがよく分からない」といった質問や相談を受けるような場面はありましたか?

いや、そういう意味での質問はあまりなかったですね。彼は原作を「バイブル」として本当に深く読み込んでいて、琥珀の立ち振る舞いや仕草、表情のニュアンスまで自分の中に落とし込んで現場に来てくれていました。アイドル活動も含めてもの凄く多忙なはずなのに、事前の準備を徹底的に重ねてくる人だなという強い印象があります。

そして素晴らしいのは、そこまで完璧に準備をしてきているからこそ、撮影現場で生まれたアイデアや感覚を素直に試せる柔軟さがあることです。準備が完璧だからこそ、現場で「あ、こっちの方がいいかも」と思ったら良い意味で一度プランを捨てて、あえて違うアプローチをとってみることができる。

「いまの動き、なんでやってみたの?」と驚くような瞬間もありましたが(笑)、彼の中でしっかりと琥珀の軸が出来上がっているからこそ生まれるお芝居なんですよね。

だからこそ僕自身も、道枝くんや安斉さんに対して「ここはこう動いて、こういう感情になってね」と決め打ちでガチガチに指示を出すことはしませんでした。「とりあえず一回動いてみようか、やってみよう」と、現場の空気感や二人から出てくるものを大切に試していくスタイルが多かったように思います。

画像: 道枝駿佑が体現した、琥珀の“王子”と素顔

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