01: 実は巨匠がいっぱい!
ヨーロッパ映画のリーダー
映画祭の元祖ヴェネチア国際映画祭の開催や、巨大撮影所チネチッタの開設など、戦前から映画文化が栄えたイタリア。だが、第二次世界大戦での敗戦をきっかけに、素人を俳優に起用し、街頭で映画を撮影する「ネオレアリズモ」の動きが起こる。
その中から頭角を現したのが「無防備都市」(1945)のロベルト・ロッセリーニと「靴みがき」(1946)、「自転車泥棒」(1948)のヴィットリオ・デ・シーカ。いずれもカンヌやアカデミー賞で受賞し、イタリア映画の健在ぶりを印象付けた。同じくネオレアリズモを経た後、豪華絢爛かつ退廃的な映像美で知られるようになったのがルキノ・ヴィスコンティ。「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)、「ベニスに死す」(1971)などが代表作で、「山猫」(1963)はカンヌのグランプリに輝いた。
さらに、ロッセリーニの下で映画製作を学んだフェデリコ・フェリーニは、「道」(1954)でアカデミー賞外国語映画賞などを受賞。その後も「甘い生活」(1960)、「81/2」(1963)といった名作を送り出した。
ロッセリーニやヴィスコンティらの下で脚本家として活躍した後、監督デビューしたのがミケランジェロ・アントニオーニ。「情事」(1960)、「太陽はひとりぼっち」(1962)など、数々の作品が世界三大映画祭で受賞。
「暗殺の森」(1970)、「1900年」(1976)のベルナルド・ベルトルッチは、清朝最後の皇帝を描いた「ラストエンペラー」(1987)でアカデミー賞9部門を獲得した。
パオロ&ヴィットリオのタヴィアニ兄弟は、「父/パードレ・パドローネ」(1977)や「グッドモーニング・バビロン!」(1987)などを送り出してきたが、兄ヴィットリオが2018年の4月に亡くなっている。
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