自分はどこで暮らし、どう生きるかの決断を下した女性
『ノマドランド』(全国公開中)
監督:クロエ・ジャオ
出演:フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン
ノミネート:作品賞、監督賞、主演女優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞
2008年に世界を襲った大不況で住む町はさびれ、夫は亡くなり、60歳を過ぎた。
そんな女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)の物語は、ジェシカ・ブルーダのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」が原作。
中国生まれでアメリカ在住のクロエ・ジャオが脚本を書き、監督して昨年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞、第93回アカデミー賞の作品賞・監督賞・主演女優賞など6部門で候補に挙がった。
家を処分してキャンピングカーで暮らすノマド(遊牧民)の生活を選んだファーンは数多くの仲間に出会う。本物のノマドたちが出演している。彼らには収入のためにアマゾンの配送センターなどで重労働をこなしながらも総てを自分で決められる自由がある。
本物の俳優デヴィッド・ストラザーンが演じるファーンのノマド仲間のデヴィッドが子供たちのいる家に帰ると決めた時、一緒に暮らそうと誘われたファーンは悩んだ。
ノマドには自由に生きる喜びもあるが、孤独や事故に見舞われる不安もある。何を選ぶかは自分の自由、と演じる『ファーゴ』『スリー・ビルボード』ですでにアカデミー主演女優賞受賞のマクドーマンドがカッコいい。
まるで西部開拓時代のカウボーイのように雄大な大地を踏みしめて立つ暮らし。アメリカのお年寄りの老後は暖かな土地でおだやかな引退生活を送るのが夢といわれてきたが、大不況を経験したあとはどうなのだろう?
自分はどこで暮らし、どう生きたいと思っているのか。ファーンは決断を下した。そんな彼女の心に老ノマドが言った言葉が響く、「さようならではなく、またどこかで」。きっと誰にとっても人生は旅なのだ。(文・渡辺祥子)
米南部にやってきた韓国移民一家の物語を描く感動編
『ミナリ』(全国公開中)
監督:リー・アイザック・チョン
出演:スティーヴン・ユァン、ユン・ヨジョン
ノミネート:作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、脚本賞、作曲賞
1980年代、アメリカ南部アーカンソー州にやってきた韓国移民一家が苦難を乗り越えて根を下ろす。韓国移民の子でアメリカ生まれのリー・アイザック・チョンが自身の家族をモデルに脚本を書いて監督。第93回アカデミー賞の監督賞・脚本賞候補にあがった。
ひよこの鑑別で収入を得ながら農地を購入して引っ越してきたジェイコブ(スティーヴン・ユァン=主演男優賞候補)は、韓国野菜の栽培で成功を夢に見るが、荒れ地と車輪つきの貧しい平屋を目にした妻のモニカ(ハン・イエリ)は落胆した。娘と息子がいる一家4人。息子のデヴィッドは心臓に病気を抱えているのに病院のある町から遠いのも心配だ。
そんなある日、子供たちの世話をしてもらうためにモニカの母スンジャ(ユン・ヨジョン=助演女優賞候補)を呼び寄せることになった。
ところが、やってきたお祖母ちゃんがデヴィッドは気に入らない。アメリカのお祖母ちゃんとちがってクッキーを焼いてくれることもなく、英語もしゃべれない。出来るのは花札だけ!
孫に嫌われても気にもしないお祖母ちゃんは国から持ってきたミナリのタネを池のほとりにまき、それが青々と茂ったところへ孫たちを連れて行く。
ミナリとは日本で言えばセリ。年に2回の旬があり、2度目のほうが美味しいところから、韓国では子供の世代のために親の世代が一生懸命に働く、という意味があるそうだ。
一家には水が涸れたり火事が起きたり多くの困難が襲うが、日曜日には地元の教会に通い、近所の変わり者の老人を雇うなど、地元の人々とのつながりを十分に意識しながら異文化に溶け込んでいく。デヴィッドもいつの間にかお祖母ちゃん子になっていった。(文・渡辺祥子)
ホプキンスの計算されつくした熱演がクライマックスで昇華する
『ファーザー』(2021年5月14日より日本公開)
監督:フロリアン・ゼレール
出演:アンソニー・ホプキンス、オリヴィア・コールマン
ノミネート:作品賞、主演男優賞、助演女優賞、脚色賞、編集賞、美術賞
『羊たちの沈黙』(1991)ですでにアカデミー賞主演男優賞を受賞しているアンソニー・ホプキンスが、約30年ぶりに同賞を再受賞するのではと評判の高い本作。たしかに百聞は一見にしかずで、その噂も納得の圧倒的な名演に唸らされてしまう。
ホプキンス演じる主人公アンソニーは老齢で記憶が薄れ始めているが、本人はそれを認めようとしない。娘のアン(オリヴィア・コールマン)は一人暮らしの父に介護人をあてがおうとするが、アンソニーは自身の周辺で不思議なことが起きていると感じていた……
従来のこうした認知症と闘う老いた親とその家族の物語は、ほとんどが正常な意識を持つ家族の立場が視点になっているものだが、本作の視点は基本アンソニーの立場に立っている。ゆえに彼の周辺で起こる出来事を観客も追体験する構成なので、物語が非常にサスペンスフルに語られていくのだ。
観客も老父側の眼でストーリーを追うので、何が幻想で何が真実なのかわからなくなっていく。それはまた、認知症という症状を大変リアルな感触で体験する一面も持ちあわせ、アンソニーの不安感が他人事でなくなってしまうのだ。
自分という確固としていた存在が脆くも崩れていく悲劇を全身で演じ切るホプキンスの計算されつくした演技はクライマックスで見事に昇華し、これがオスカー演技でなくて何なのだとさえ言いたくなるほど。
監督は本作の基となった戯曲の作者であるフロリアン・ゼレール。映画化に当たってホプキンスを念頭に脚本を書きなおしたという。
アン役のコールマンも父の真の愛を得たくても得られない娘ならではのジレンマを巧演。背景となる室内装飾のアレンジなどにもぜひ目を向けて鑑賞してほしい。(文・米崎明宏)
映画史に残る名作『市民ケーン』誕生の裏で何が起きていたのか?
『Mank/マンク』(Netflix 映画『Mank/ マンク』独占配信中)
監督賞:デヴィッド・フィンチャー
出演:ゲイリー・オールドマン、アマンダ・サイフリッド
ノミネート:作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、作曲賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、音響賞
映画史に残る傑作、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941)はどうやって生まれたのか? これまでもさまざまな切り口で描かれてきたこの作品のビハインドに迫るため、デヴィッド・フィンチャーが選んだ主人公は脚本家の〝マンク〞ことハーマン・J・マンキーウィッツだった。
才能がありつつも長年ゴーストライター的存在に甘んじていた彼の目を通して、ケーンのモデルとなった新聞王ハーストやその愛人マリオン、そしてウェルズたちの姿が描かれる。面白いのは、その視点が当時のハリウッドにも行き渡っているところ。
彼らの口から次々と飛び出すのは映画ファンならなじみのある映画人の名前であり、マンク自身がつきあっているのも伝説的な製作者や監督たち。つまり、映画ファンの心をくすぐりまくる要素がたっぷり。
さらに凝り性のフィンチャーらしく映像はモノクロ、録音はモノラル(でも、スクリーンサイズはワイド)と30、40年代のハリウッド映画に合わせた仕様。夜のシーンを昼間に撮るための撮影スタイル〝デイ・フォー・ナイト〞も使って、まるで当時の映画を観ているかのような錯覚を覚えさせる。
その一方で、マンクへの愛情も忘れていない。ウィットに富んだ会話、皮肉たっぷりの言葉、さりげなくみせる優しさ、ときに暴走する映画やハリウッドに対する想い、フィンチャーと彼の実父ジャックの書いた魅力的なセリフと、それを口にするゲイリー・オールドマンの見事な演技のおかげで、フィンチャー映画のなかでダントツに愛らしいキャラクターになっている。
フィンチャーのテクニックとエモーションとパッションによって生まれた、彼のマスターピースといいたくなる傑作。オスカー最多ノミネートも当然だ。(文・渡辺麻紀)