村上春樹原作『ドライブ・マイ・カー』(2021)を映画化し、第74回カンヌ国際映画祭で4冠を獲得。前年には、共同脚本を手がけた、黒沢清監督『スパイの妻(劇場版)』(2020)が、第77回ヴェネチア映画祭で銀獅子賞に輝いている。そこに来て、今回ご紹介する『想像と偶然』(2021)も、第71回ベルリン国際映画祭で銀熊賞に、ついで、今年の東京フィルメックスで観客賞を得るという快挙を見せつける。日本のみならず、国際的にも今一番注目を集めて突っ走る活躍ぶりの濱口竜介監督。そんな監督の素顔は、実にフランクにして明晰、クリエイターとしてのセンスとインテリジェンス溢れる笑顔の持ち主だった。

ロメールの映画は、映画を観ることを好きにさせる

── 大学生でロメールを観てるってなると、かなりの「シネフィル」だったんじゃないですか?

大学では映画研究会というサークルに入っていました。そこには蓮實重彦さんがやっていらした授業の、最後の世代というような人たちが残っていまして、メチャメチャ、シネフィル文化的なわけですよ。

その中で、僕は全然そうじゃなくて、高校の頃はハリウッド映画を観ていまして、まあ、せいぜい、クエンティン・タランテイーノとかコーエン兄弟といった、カンヌ映画祭で賞を獲りましたというような監督の作品を観ているくらいで、(シネフィルが観るような映画を)観ていないこともあって……。

で、大学に入るので東京に来て、映画ってこんなにやってるのかという状況で、あんな映画もある、こんな映画もあるっていうところにロメールも居て、いろいろな映画をお勉強のようにして観る中で、ロメールは面白い、純粋に楽しめる、映画を好きになることを助けてくれる作家だと思えました。

── なるほど、なるほど。そうだったんですね。私事ではありますが、拙近刊『職業としてのシネマ』にも洋画配給会社のスタンスから、当時の配給やミニシアターのことなど書き述べましたが、その時期は本当に作る人、配給する人、観る人がエネルギーに溢れて、ミニシアター映画の良い環境が出来上がっていました。

濱口監督は、そういう環境にいて影響力のある映画をたくさん観て、お勉強していらした。そういう素地があって映画を作られているから、名だたる国際的映画祭に響くんだろうなあと、今のお話を伺ってそう思いました。そういう方がこれからの時代を牽引して行っていただけると頼もしいし、嬉しいですよね。

まあ、東京の映画環境の影響というのは確かに大きいと思いますね。古今東西の映画を観ることが出来るというのが東京ですから。

楽しく勉強させてくれる映画たち

── フランス映画だったら、ロメール監督が一番なんですか?

そんなこともありません。いわゆるヌーベル・ヴァーグの作家たち。先ほど難しいと言ったゴダールも観ていくうちに、あれほど気持ちのいい映画はないと思います。ジャック・ドワイヨン、レオス・カラックス、遡ってもっと前の世代なら、ジャン・ルノワール、ロベール・ブレッソン、ジャン・グレミヨンといった監督たちが、とても好きです。

フランス映画は、日本で観られる作品がとても多いですし、フランスでも日本映画は観てもらっているし、相性や関係性がとても良いと思います。

── 蓮實先生の影響もお受けになっていることでしょうし、きちんと、お勉強してきているわけですね。

まあ、そうですね。お勉強するというか、楽しく取り組んでいけるのが映画ですし。

── そう言えば、10月にロメールの『六つの教訓話』(1959)の特集上映があって、濱口監督も、楽しくないと映画ではないというようなコメントを寄せていらっしゃいましたね。やっぱり、映画は面白くなくちゃいけないと?

まあ、そうですね。いろんな映画があって、それぞれ面白さがあるんですが、そこで監督は自分が面白いと思うことや興味深いものに没入できないと、映画は撮れないですよね。

僕にとっても、面白い映画がいろいろある中、やはり、映画を好きになることを教えてくれる。そういう映画は、とても大事な映画だと思えるんです。彼の映画を観続けていると、その前の時代の映画に導かれるようなところがあるし、映画の面白さについても教えてもらえるようなことがある。だから、とても大事なんです。

そして、自分の特性としても、そういうところを活かして作品を撮っていきたいので、彼は大切な存在です。

俳優たちへの演技指導は、リハーサルから

── そういうお考えは素晴らしいですね。映画を好きになるきっかけになるような映画を観る、撮るっていうようなお話を伺えて、とても嬉しいです。

クロード・シャブロル監督も、とても好きですよ。

── ああ、巴里映画でも一本配給しています。パトリシア・ハイスミス原作の『ふくろうの叫び』(1987)という作品で、ちょっと「けったいな」(笑)、いかにも、シャブロルらしい描き方をした映画でして、当時はこういった作品をシネセゾン渋谷で観るという文化が盛んでした。亡くなった演出家の蜷川幸雄さんが、チケットを買って列に並んで観て下さったのも忘れられませんが。それを上映する、観るというような文化が、何か人に少なからずの影響を与えてきたと思いたいです。

ところで、フランスの映画などは、もちろんですが、出演の女優を際立てていくことが映画監督のお仕事でもあるわけで、ゴダールならアンナ・カリーナ、ロジェ・バディムならブリジット・バルドーというようなミューズを自分の作品で輝かせて世に出すとか……。

濱口監督の今回の作品では3話あるので、女優さんたちのキャスティングから演技指導などいかがされましたか? 楽しいだけではなかったとか?

画像: 俳優たちへの演技指導は、リハーサルから

女優さんに限らないですね。今回の俳優さんたちへの演技指導には、リハーサルの時点で時間をかけています。クランク・イン前のリハーサルに時間をかけずに撮ることが大体と思うのですが、今回は企画の目標としても、そこに十分な時間をとることにしました。

演じる人たちがどういう人物かを知るためのコミュニケーションをとる、とれるという点では、キャステイングの時点で人柄の良い方、コミュニケーションしやすい人を選びます。怖い人は選ばないし(笑)。

── ハハハハ。そうでしょうね。

ですから、リハーサルの際に俳優さんたち個々とコミュニケーションをとることで、相手を知ることが出来たし、役者さん同士もお互いをよりよく知れたと思います。楽しいことばかりでした。

撮影になったら、自由に演じさせる

── 監督へのリスペクトのある方ばかりでしょうから、指導には絶対的に従うのでしょうけれど、コミュニケーションをとりながら、演技は、俳優さんたちに任せるというものですか、それともしっかり指導して、という感じですか?

半々ですかね。というのは最初はテキストどおりに、一言一句間違わないように無機質なくらいに台詞を言っていただく。それを何度も繰り返して(体に叩き込んで)もらううちに、そうなってくると、考えないでも自然に台詞が出てくるようになる。

いったんは個々の独自が持ってきた演技の考えやアイデアを捨てていただくということですね。だから、その後の本番の撮影現場では、動きについては必要に応じて提案するものの、自由に演じてもらい撮っていく。

── じゃあ、最初はやり直しも何度もあるんですか?

テイクごとに何回か撮りなおしても、それが(撮り直しというよりも)テイクごとの良さがあります。リハーサルの時に本読みをして基礎体力みたいなものが出来ているから、稽古を重ねれば重ねるほど良さは出る。一番最初のものも、フレッシュさもあるし戸惑いなんかも出ているし、そこに発見もありますね。最終的には編集で組み合わせて作っていきます。

── はい。よくわかりました。監督の言うことを聞かない女優としては、先ほどのブリジット・バルドーが、ゴダールの『軽蔑』(1963)に主演した時に、アンナ・カリーナみたいに演じて欲しいという監督の指示に、それならカリーナ連れて来たらいいじゃないかと言ったという逸話があります(笑)。だから、彼女にとっては、あの作品は最低だとも言っていたそうで。

はい、はい。そりゃあ、そういう指導は役者さんにとっては確かに最低でしょうからね(笑)。

── コミュニケーションなんてなかったに等しいわけでしょうね(笑)。それでも映画は出来ちゃった(笑)。

はい。それでも、多々映画は出来てしまいますね。

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