脚本の行間から美的感覚が滲み出ている
──マーティン・マクドナーの脚本を読んでいかがでしたか。
ブレンダン・グリーソン(以下、グリーソン):マーティンの脚本の一部が届いたとき、息子たちがハリー・ポッターに熱中していた頃を思い出しました。息子たちは同じ本を2冊買っていました。もう一方が読み終わるのを待っていられなかったからです。読み始めると全部読み終わるまで、本の世界に没頭していました。マーティンの脚本でも私に同じことが起きたのです。
マーティンの世界にすっかり入り込み、我を忘れてしまいました。コルムの役柄と彼がたどった波乱万丈な状況が明らかになっていくと大変難しい役だと思いましたが、こういう映画を待っていたのです。最初にマーティンの映画に出たのは短編でしたが、「誰も自分の脚本を他人に監督してもらいたくなんかないよね?」とマーティンが言っていたのを思い出しました。
息子のドーナルが「ウィー・トーマス」に出演していましたので、マーティンの仕事ぶりについては出演する前から知っていました。リーナン三部作(アイルランド西岸地域にある小さな村リーナンを舞台にした「ビューティ・クイーン・オブ・リーナン」(1996年)、「コネマラの骸骨」(1997年)、「ロンサム・ウェスト」(1997年)からなる3つの戯曲)を一日で全部観たことがありますが、あの日は人生最良の日でした。
一気に3本の舞台を観ることに行く前は腰が引けていたのですが、帰りは興奮と驚きに包まれていました。ですから、ずっと一緒に仕事をしたかったのです。短編の話がきたときはとても深いところまで意見を交わし合いましたし、『ヒットマンズ・レクイエム』は夢のような映画でした。あれでコリンとも出会えましたからね。
コリン・ファレル(以下、ファレル):マーティンの舞台や映画を観たことがある人、映画や演劇業界の評論家にとって、マーティンはかなり突出した個性をもつ監督・脚本家の一人として認められています。
役者は個性のある、独特な何か、例えば考えや気持ち、人物、世の中を明確に表現する信じられない手法を持つ誰かを探しているもの。独自の世界観と世界の秩序を描いてみせ、行間から美的感覚が滲み出ている脚本に出会えることは、本当に素晴らしいことです。
マーティンの脚本には今までに出会ったことのない、考えも及ばない世界観が描かれていました。以前、マーティンとタッグを組んだ『セブン・サイコパス』も『ヒットマンズ・レクイエム』もそうでした。哲学や発想、情感を具現化するマーティンの驚異的な才能がどの作品にも共通して現れているのです。
しかも喜劇と悲劇が共存していました。マーティンは世界が時にとても残酷になることを敏感に察しますが、闇と痛みの中、喪失と苦悶に抗う客観性をもって、それをユーモアに変えることができるのです。