東映が新しい未来を創り上げるための劇薬に
──東映70周年記念作品で、主演が木村拓哉さんと綾瀬はるかさんです。ご自身のどんな部分に期待してのオファーだと思われましたか。
オファーされて早々でしたが、東映のプロデュースチームに「劇薬になってほしい」と言われたんです。
──劇薬ですか!?
「龍馬伝」が大河ドラマを、『るろうに剣心』シリーズが邦画のアクションを刷新したように、令和の時代に相応しい新しい時代劇を創り上げてほしい。そのための劇薬になっていただけませんかといった意味合いでした。
東映京都撮影所で15年ぶりの大型時代劇をオリジナルで撮る。信長と濃姫の物語を古沢さんが書く。キャストも含め座組としては申し分ない。色々冠はついてましたが、僕はあまりプレッシャーを感じないタイプで、「面白そう!」と素直に受け止めました。「だったら、劇薬として徹底的にやらせていただきますよ」と(笑)。
──その期待にはどのように応えられましたか。
何事も「ブランクがある」というのは大変なことですよね。東映京都撮影所もかつては大作時代劇映画の制作がたくさんあって、そこに資本も時間も人材も惜しみなく投入されていました。ですが今は、コンパクトなテレビ時代劇やドラマが中心で、時代劇映画が置かれている状況は全盛期とはまったく異なります。
そういう中で、箪笥の引き出しや倉庫の奥に眠っているものを引っ張り出してそれを並べるだけでは、過去の塗り直しや繰り返しになってしまう。並べ方を変えるとか、魅せ方を変えるといった工夫が必要です。一本一本の映画にはそれぞれ作り手の異なる考え方や個性があるし、時代時代が要請するものもありますからね。それに応じた何か新しいものを作るというノウハウや柔軟性の維持が、時代を超えて実は一番大切なことです。
例えば、劇中に登場する髑髏の盃。近江の浅井久政、長政の親子、越前の朝倉義景の髑髏で盃を作ったという話は信長の残虐性を示すのによく使われるエピソードですが、中国の古典によれば、死者を弔うという意味もある。宝飾もかなり施していたらしい。撮影所には何回も使っているものがすでにあって、それを持ってくれば効率はいいわけですが、一方で他作品で何度も使われているそれは、質として作品の個性には繋がりません。
自分が関わる以上、「レジェンド&バタフライ」という映画独自のアプローチで、浅井久正、長政、朝倉義景、それぞれ1人1人の骨格の違いも意識してデザインしてもらい、それを作らせた光秀の知性も反映させた造形を考え、装飾を施したい。
信長と濃姫が住むお城についても同様です。まず平城の那古野城に始まって、石垣の城壁を備えた清洲城。やがて濃姫の念願だった美濃の稲葉山城を取り戻し、岐阜城と名付ける。そして天を仰ぎ見るような安土城を築城する。
信長と濃姫の居住空間が都度変わっていくわけですから、そのディテールを視覚化した映像は、間違いなく興味深いものとなる。私たちの生活が一人暮らしの1DKのアパートから始まって、最後は立派な一軒家に辿り着くプロセスと同じで、そこに居住者の置かれた状況や考え方も反映してきますからね。
「城の中の違いは、そんなには観客にはわからないだろう」とか同じセットを使い回すことに慣れっこになると、「何故そんなことをしなくてはいけないのか」という発想に陥ってしまいます。
時代劇は様式とカスタマイズとの戦いです。正しくはこうでなきゃいけないということがいくつもあるけれど、それに乗っかってやっているだけだと、いつの間にか“正しさのみ”が基準となり、それは無個性にも繋がっていきます。観客にきちんと届け、楽しんでもらうためにはどうしたらいいか。そういう細やかなことも含めて探っていくのは時間が掛かるし、手間もコストも掛かる。
ですが、時代劇というジャンルが令和の時代に生き残っていくためにも、かつてその旗手でもあった東映創立70周年記念作での本作で、もう一度徹底的にこだわって作ってみませんかと。1つ1つ、その指し手を確認しながら進めるのが、“劇薬”としての僕の役割であったように思います。