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17歳から18歳という子どもと大人のはざまに差し掛かった3人の少女が〈こうあるべき自分〉を思い描き、つまずき、ぶつかり、失敗しながらも誰かと寄り添い、自由を獲得する方法を学んでいく。映画『ガール・ピクチャー』は若い世代の感覚を反映させ、ヘテロセクシュアル(異性愛)やシスジェンダー(割り当てられた性別と性自認が一致している人)を前提とせず、それぞれに異なる恋愛指向があることを当たり前として物語が進む時代を反映した青春映画です。脚本開発にも関わったアッリ・ハーパサロ監督に作品の核となる思いについて語っていただきました。(取材・文/ほりきみき)

「ゲイを持ち上げて、ヘテロを蔑む必要はない」

──ミンミとエマは同性同士で惹かれ合い、ロンコはアセクシュアル(他者に対して性的欲求を抱かないセクシュアリティ)の可能性があることに悩んでいて、内容がとてもセンシティブです。演出するにあたって、どんなことに気を付けましたか。

同性との恋愛は映画の中で乗り越えなくてはならない問題として描かれることが多い。異性との恋愛ならそういったことはないのに、変ですよね。この物語において、エマとミンミは周りから批判されたり、問題にされたりすることがなく、ただお互いに惹かれ合います。同性愛だから問題が起きてしまうということを描きたくなかったのです。

ロンコは性行為の快楽を追求しようとしていますが、社会の中で女性が性の快楽を求めていろいろな人と性的な関係を持とうとするとだいたい、辱めを受けたり、叩かれたりと危険な目に遭うということが多い。しかし、この作品では辱めを受けることも、危険な目に遭うこともありません。女性が性的快楽を求めることは自然なことであることをしっかり伝えたかったのです。そのためには危険な目に遭わせないことが大事でした。

画像1: 「ゲイを持ち上げて、ヘテロを蔑む必要はない」

──ミンミを演じたアーム・ミロノフ、ロンコを演じたエレオノーラ・カウハネン、エマを演じたリンネア・レイノとはどのように役を作っていかれましたか。

彼女たちとは3カ月間のリハーサル期間を設けました。頻繁に顔を合わせ、台本の読み合わせをし、それぞれの役についてみんなで話し合い、そのシーンで何を伝えたいのかをしっかり理解してもらうようにしたのです。それだけでなく10代の女の子特有の接し方についても話しました。女の子は友だち同士で髪を編んだり、メイクをしてあげたり、ひっついたりして体が触れ合うことが多いですよね。そして、親密なシーンにおいてはとことんリハーサルをして、動きを全部しっかり固めてから撮影しました。

そのうえで、3人には自分自身の経験も役に活かしてほしいと思っていました。そうすることによって、キャラクターにリアリティを持たせたかったのです。ですから彼女たちには最初に「脚本に書いてある文字をただ読むのではなく、私の言っていることや脚本の内容について、ここは違うと思ったら言ってほしい。作品はみんなで作るものよ」と話しました。

──3人から何か提案はありましたか。

物語の展開については幸いのところ、「これはちょっと違う」と言われるところはありませんでしたが、細かいところではいくつか提案がありました。その1つが、ミンミとロンコがパーティーに行く準備をしているときの会話です。ミンミの家に行くまでのところでロンコが自分は性行為で喜びを感じたことがないと言っていたことを思い出したかのように、ミンミが「女の子とやってみたら」と提案します。それに対するロンコの答えですが、元々の脚本には「私は悲しいくらいヘテロだから」というセリフを書いていました。

画像2: 「ゲイを持ち上げて、ヘテロを蔑む必要はない」

ところが彼女たちが「この作品は同性愛をポジティブなものとして描こうとしているあまりにヘテロを蔑み過ぎていて、“ゲイはクールだけれど、そうじゃないものはクールじゃない”みたいに感じるけれど、それって今っぽくない。私たちにとってゲイであることはクールではなくて、普通のこと。そこまでゲイを持ち上げて、ヘテロを蔑む必要はない」といわれました。それで「私は完全にヘテロだから」とニュートラルなニュアンスに変えました。私たちの世代はとにかく“ゲイはクール”と思っていましたが、今の若い子たちは違うよう。そんな彼女たちの姿勢が反映された1つの例です。

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