長回しで撮ることで本当の姿を映し出す
──2016年にフラン北部の町サントメールで実際にあった事件とその裁判をベースにしているとのことですが、その事件のどこに興味を持たれたのでしょうか。また監督はドキュメンタリーでキャリアをスタートさせましたが、本作はなぜ、ドキュメンタリーではなくフィクションの手法で描かれたのでしょうか。
「私は本能的に引き付けられ、この事件の裁判を傍聴しました。ですから、最初は映画を作る気がまったくなかったのです。しかし、傍聴しているうちに、ここには母と娘の関係性という普遍的なテーマが隠されていることに気がつきました。それは私のように裁判を傍聴していた女性だけでなく、すべての女性にとって身近な問題であるはず。そこで、誰もが自分の問題として捉えられるよう、ドキュメンタリーではなく、フィクションで描いたのです。映画を撮ることで、自分自身と母の関係が理解できるかもしれないと思った部分もありました。裁判そのものだけが映画のきっかけではないのです」
──主人公のラマを演じたカイジ・カガメをキャスティングした理由をお聞かせください。
「カイジから人生を濃密に生きている印象を受け、寡黙ながら知性や豊かさがあり、存在そのものに何か強烈なものを秘めているのを感じました。それは今も間違っていなかったと思っています。
ちなみに、ラマは脚本を担当した3人それぞれの閃きを基にして、完璧にフィクションのキャラクターとして作り上げました。私自身の人生だけが投影されているわけではありません」
──カイジは映画初出演とのことですが、どのような演出をされましたか。
「今回はテイクや短いカットを重ねていくのではなく、長回しで撮ることで、何も作りものがない、本当に生の彼女の姿を映し出すことができたと思います。むしろ彼女が作っていると感じたら、カットを掛けて『今、あなた自身ではなく、作っていたわね』といって、もう一回やってもらいました。それがカイジへの演出でした。
ドキュメンタリー作品を撮るときもここを撮りたいというところには細やかに準備をします。それと同じです」
──カイジの印象に残っているシーンを教えてください。
「ラマがホテルに戻って、泣いているシーンです。彼女自身が動揺して、本当の意味でラマになり切り、またそれをさらけ出すことを躊躇わずにカメラの前で見せてくれました。カイジが自らと向き合っていたのかもしれません。本当に強烈なものを感じました」
──ロランス・コリーを演じたガスラジー・マランダはしばらく映画から離れていました。なぜ彼女を抜擢したのでしょうか。
「カイジと同じく、彼女自身がロランス・コリーと通じ合えると思い、キャスティングしました。
ロランスは非常に美しいフランス語を話します。それは彼女が周りの人から黒人女性として見られるのを拒んでいることの現れ。彼女はこれまでのことを法廷で語りますが、それを回想映像にしなかったのは、観客が彼女の話す美しいフランス語を聞くことによって、より彼女を理解してほしかったのです」