パリの大豪邸で有名な映画プロデューサーが殺された。嫌疑が掛かった若い女優マドレーヌは弁護士の友人ポーリーヌの助けを借り、それを逆手に利用して、一躍人気スターにのし上がる。そこに真犯人を主張するかつての大女優オデットが現れた。映画『私がやりました』はフランソワ・オゾン監督が1930年代のパリを舞台に描いたクライムミステリー作品である。マドレーヌを演じたナディア・テレスキウィッツにインタビューを敢行。現場での監督の様子やオデットを演じたイザベル・ユペールについて聞いた。(取材・文/ほりきみき)

衣装で人物を造形していくことを経験

──マドレーヌ役をどのように作っていきましたか。

1930年代には、まだ女性に選挙権がありませんでした。そんな時代に若い女性が女優という職業を選択することがどれだけ大変なことだったのか。このことについて、オゾン監督とたくさん話をし、時代背景を含めて、マドレーヌという役を理解しました。

画像: レベッカ・丸デール(左)、フランソワ・オゾン監督(中央)、ナディア・テレスキウィッツ(右)

レベッカ・丸デール(左)、フランソワ・オゾン監督(中央)、ナディア・テレスキウィッツ(右)

今回のセリフはとても演劇的で、発音や抑揚がとても大切でした。しかも、コメディですから、リズムも大事。タイミングやテンポを逃したら笑えなくなりますからね。幸いなことに、読み合わせやリハーサルを美術セットの中ですることができたので、本番のように共演者の目を見ながら、「このセリフをこのタイミングで言えばいいんだ」ということを確認しながら準備できました。

親友で弁護士のポーリーヌを演じたレベッカ(・マルデール)とは共犯者みたいな仲間意識がすぐに生まれて、2人の女性の人物を生み出すことができたかなと思っています。

──フランソワ・オゾン監督はどのような方でしたか。

監督はすごく愉快な方です。しかも、俳優のことを大切にしてくださったので、現場では笑顔が絶えませんでした。

──現場でのことで印象的に覚えていることはありますか。

撮影期間がタイトだったので、1つのショットが終わるとすぐに次のシーンのショットを撮らなくてはならず、みんな走るように移動しながら切り替えて、すごく集中力を要しました。

それでも現場は楽しかったです。モノクロで撮られたフラッシュバックシーンは舞台劇の女優のように、大袈裟に口を開けて演技するので、自分でも可笑しく思えることがありました。

今、1つ思い出したことがあります。レベッカとサンドウィッチを食べながら喋るシーンがあったのですが、口の中にサンドウィッチが入っているので、タイミングがうまくつかめず、そんな自分たちに対して笑い転げてしまいました。それを見た監督の顔があまりに困った感じだったので、申し訳ないと思いつつ、さらに大笑いしてしまったのです。

──初めは質素な衣装でしたが、人気スターになってからはゴージャスになります。現代のものとは違いますが、お召しになっていかがでしたか。

1930年代の衣装をオーダーメイドで作っていただき、それを身に着けることができるという幸運なことが自分の女優人生にあるなんて、思ってもみませんでした。

マドレーヌが着る衣装は段々とゴージャスになっていくのですが、イメージはハリウッドの1930年代の映画でした。衣装担当のパスカリーヌ・シャヴァンヌは衣装が人物を作り出すという信念を持っている方。「この洋服はちょっと違うわね」とか「この帽子はマドレーヌだわ」などと、少しずつ衣装でマドレーヌになっていくことも経験させていただきました。

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