“20年目にしてこの機会を得たのだから、妥協はしないと思わせてくれた”
――「SHOGUN 将軍」ではプロデューサーを兼任していますが、どういう経緯だったのですか?
「最初は俳優としてオファーをいただきました。その際に、日本時代劇を経験しているクルーを雇って欲しいという注文を出して、受け入れられ、出演することになりました。それから2、3年を経て、ジャスティン(・マークス)やレイチェル(・コンドウ)がクリエイターとして参加しましたが、彼らは日本の文化を心からリスペクトしていて、とにかくオーセンティックな作品にしたいので、プロデューサーもやって欲しいという話をいただいたんです。日本人が観てもおかしくない日本を描いて欲しいという思いを、これまでずっと抱いてきたので、これはいいチャンスだと思い、お受けしました」
――プロデューサーとして、具体的にどんな仕事をされたのでしょう?
「第一段階は、日本人クルーのスタッフィングですね。各パートに時代劇のスペシャリストを置く。30~40年前に一緒にお仕事をさせていただいた方をはじめ、適材適所の人選を心がけてチームジャパンを組みました。その後にキャスティングです。ジャスティンとやりとりをしながら、2,3人に絞られた段階で誰が適任かを考え、日本人の目から見て、また俳優としての経験も踏まえて、適材である理由を話し合いながら、主要キャストを決めていきました。現場に入ってからは、出来上がってくる衣装や小道具、セットのチェックをして、ダメなものは作り直してもらう。俳優部は俳優部で、所作指導の下で立ち振る舞いや殺陣、武器の使い方などの稽古を始めてもらいました。撮影が始まると僕は朝イチに現場へ行って、皆が来る前にセットをチェックし、監督を呼んでリハーサルをして俳優の動きをチェックする。それが済んでからトレーラーに戻り、衣装やかつらを付けて、役者として撮影に間に合わせるという、慌ただしい日々が始まりました(苦笑)」
――壮絶にお忙しかったのですね。
「撮影だけでなく、同時進行で次の、さらに次のエピソードの脚本も作ったりしていましたから、週末もほとんど働いていました。でも、20年目にしてこの機会を得たのだから、妥協はしないと思わせてくれたし、そもそも初めから作品のクリエイティブな部分に関われる状態が新鮮だったし、忙しかったけれど同時に楽しかったんですよ。振り返ると、仕事の合間に芝居をしている、という感じでもありました(笑)」