1975年にアメリカで発表されたジェームズ・クラベル著「将軍」は日本の歴史の転換期となった1600年の戦国絵巻を描いた小説としてセンセーションを巻き起こし、1980年にはTVドラマ化され、アメリカにサムライブームを引き起こした。そして2024年、この小説が本格的な戦国ドラマとして、ディズニーが持つ製作会社の一つ「FX」により再映像化される。ディズニープラスで2月27日より全世界で独占配信中の注目作「SHOGUN 将軍」は、全10話からなるドラマシリーズ。1600年、嵐に巻き込まれて日本に漂着したイギリス人航海士ジョン・ブラックソーンと、時の権力者のひとりである武将、吉井虎永の運命が交錯し、様々な人々の思惑の中で激しく揺れ動く。虎永を演じた真田広之は、本作ではプロデュースを兼任し、作品のクリエイティブな面にも深く関わった。そんな彼に「SHOGUN 将軍」の舞台裏について話を訊いた。(取材・文/相馬学、写真/久保田司、ヘアメイク/高村義彦(SOLO.FULLAHEAD.INC)、編集/SCREEN編集部)

“限界を感じ、もどかしさを感じ、時には悔しさを感じていました”

――『ラスト サムライ』でハリウッドに渡って以来、真田さんは日本の正しい描写についこだわってこられましたが、この20年を振り返って役割はどう変化してきたのでしょう?

「『ラスト サムライ』のときから現場で意見を述べていたし、ポストプロダクションの際には半年間そこに残り、無償で監修をしたりしていました。現場に文化的なことを監修する人がいないときには買って出て、ボランティアでやるというようなことが、どの作品でもありましたね。『ウルヴァリン:SAMURAI』の頃には、すでに10年ハリウッドで仕事を続けていたので横のつながりもできていて、“わからないことがあれば、アイツに訊け”というようなことがスタッフ間に伝達されていました(苦笑)。で、現場に行くと、スタッフにいろいろ質問される。出番がない日でも現場に行って、チェックもしていました。ただ、間違っている部分があれば極力直しますが、俳優として物申せることには限界がある。そういう意味では、20年目にして今回プロデューサーという仕事を得たことの大きさは、すごく感じています。僕が今までしてきたことをクリエイターが認めてくれて、スタジオに届いたということは、自分としては大きいことです。ここまできたか……という感慨はありますね。ハリウッド作品に出る度に、限界を感じ、もどかしさを感じ、時には悔しさを感じました。そういう思いが『将軍 SHOGUN』のプロデューサーとして、ギリギリまでこだわり続けることの原動力となったのかもしれません」

――カナダでの撮影を決めた理由は?

「今は日本でも時代劇のロケーションを探すのは困難になっています。どこにでも建物があり、現代の物が映り込むような状況ですから。日本の原風景を探すのは、本当に難しくなっています。バンクーバーに行ったときに驚いたのは、スタジオから車で30分ほど行くと、森林あり、川あり、海辺ありで、ネイチャーがすべてそろっていて、しかも現代の物がどこにも見えない環境だったんです。そこで、日本で撮るよりも日本らしい風景が撮れるんじゃないかと思いました。これは嬉しい驚きでしたね。スタジオもあるし、とにかくこの地が適していました。スタジオでは屋内シーンを撮影するためのセットを作るのですが、そこにも日本のアドバイザーがちゃんと付いていたので、細かくチェックしてもらいました」

――殺陣がとても端正で美しかったですが、こちらにはどのように関わったのですか?

「『ラスト サムライ』で一緒に仕事をしたラウロ(・チャートランド=デル・バジェ)というスタントコーディネーターを中心に、日本から3人振り付けのできるスペシャリストを呼びました。このチームでシーンを作っていったんですけれども、リハーサルに立ち会い、それぞれのキャラクターやシチュエーションに合った振りを付けていきました。俳優だけでなく、エキストラも訓練を重ねていきましたし、抜刀から振り方、足さばき、目線、納刀まで、すべてに関してアドバイスしました。まさに、手取り足取りですね(笑)。とにかく、すべての面で日本の時代劇ファンの方が観ても納得できる、そういうものを作りたいという思いがあったんです。ただ、殺陣のシーンがショータイムにならないことは気を付けましたね。やはりドラマの延長線上にアクションが起こり、帰着していくというのが理想形です。アクションとドラマが一体化していることを心掛けました。単にエキサイティングに見せるためだけの動きはつけない、それが基本的なテーマでした」

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