日本公開が遅くなったのは「マーケティングではない」

――海外で先にどんどんと上映が始まって、日本が遅くなったのは戦略だったんでしょうか。

濱口 日本は上映国の中では後半の方ですね。でも、マーケティングではないんです。非常に小さなチームで製作をしているので、無理なく出せるタイミングで出すということが一番でした。また、『偶然と想像』と同じなんですが、日本の公開に関してはBunkamura ル・シネマさんでやっていただけるっていうことが決まって、先方の一番いいタイミングとしてあげていただいたのが4月末だったんですよ。

――なるほど! 『偶然と想像』のご縁ありきだったんですね。

濱口 そう。こちらも『偶然と想像』と同じチーム(製作・配給)でやってるので、かなり同じような路線で動いてる感じですね。

――たまたまとはいえ、逆輸入ぽく見えるっていう効果が。

濱口 まあ、そうですよね(笑)。

――戦略的マーケティングとしてはすごく上手いなと思ったんですよね。

濱口 そうだといいんですけどね。

――だって、日本公開の前にヴェネチアの銀獅子賞だけでなく、アジア・フィルム・アワードの候補入りも決まってましたから(取材後、作品賞と音楽賞を受賞)。

濱口 アジア・フィルム・アワードは残念ながら行けないんですが、ありがたいことですね。行けるもんなら行きたいんですけど、予定がほかにありまして。

「いつも通りの濱口さんが作るものをやってほしい」という一言が転機に

――さて、『悪は存在しない』の製作のいきさつが非常に特殊でしたよね。まるでパズルのピースがあっていくような。まず石橋英子さんの音楽があって、それに合うピースを見つけて、組み立て……。このようなパターンは始めてですよね。

濱口 はい。何をどう作ったらいいか、というわからなさでは、初めての経験でした。しかも石橋さんの楽曲は、最初からあったわけではなかったんです。デモ音源がいくつかあるっていう状態だったので、石橋さんとやり取りしながら本当に手探り。「こういうことやっても違和感ないですか」とか「こういうことやっていやじゃないですか」みたいなことを聞きながら。でも石橋さんは、何を提案してもだいたい「いいじゃないですか」っていう感じだったんです。

――ノリが良かったんですね。

濱口 ええ。そういうやりとりを重ねる内に、「好きにやってください」という感じになってきまして。

画像: 「いつも通りの濱口さんが作るものをやってほしい」という一言が転機に

――それで長編映画に? なにか大きな転機があったんですか?

濱口 転機となったのは、2022年9月ぐらいでした。僕が何をやったらいいか全く思いつかなかったので、石橋さんと彼女の音楽仲間たちのセッションを撮影に行ったんです。そのセッションの音楽に既存の映像素材を編集したプロトタイプをプレゼンしたんですが、石橋さんからは「こういう感じより、いつも通りの濱口さんが作るものをやってほしい」とおっしゃられたんです。僕としては、なるほど、と思うと同時に、結構いいショットばかり揃えてたのにな、と思ったんですけどね(笑)。でも、そのことで石橋山さんの音楽とはかなり力強い映像でないと拮抗しないんだな、とも思えました。それなら、いつも通りにやろうということで方向転換して、長編映画になりました。

――自然と共生する町の人々と都会の人々の我欲のぶつかりあいを、タイムリーな助成金問題をあわせて描くとは……すごいアイデアです。実際にありそうなことですから。

濱口 こういうことは、長野県や東京に限らず、そこかしこで起きてるんじゃないか、と思いますね。いくつかのエピソードはリサーチから得られたことで、特にあの説明会については、これに類することが実際にあり、それを聞いて、この映画で描いた衝突や葛藤があったんじゃないかな、と想像するようになりました。でも、助成金の詳細については実際どんなものかよくわからないのでフィクションです。ただ、あってもおかしくはないですし、こういううさん臭い感じの展開も、可能性はゼロではないと思っております。

――これらをフィクションに落とし込んだのは面白かったですね。ドキュメンタリーではなく。

濱口 そうですね、結局、こういうことがそこかしこ、おそらくは映画業界でも起きているだろうという気はしたんですよ。ただ、僕は自然に囲まれた環境にあまり馴染みがない暮らしをしてきましたし、アウトドアなんか未だに全然行きませんから、石橋さんのスタジオ周辺の風景を、どう自分の映像作りに落とし込んでいくかと考えたとき、ある程度自分事としても考えられるようなものじゃないとできないと思ったんです。そんなときに、この説明会の話を知ることになり、それをフックにすることにしました。

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