映画『未来』は、湊かなえの“集大成”とも言われる小説を原作に、〈書くこと〉そのものを主題に据えた物語を映像化した意欲作だ。「文学であることの難しさ」と「映像だからこそ可能な表現」。その狭間で瀬々敬久監督が模索し続けた脚本作り、俳優たちとの創作の現場、そしてラストシーンが監督自身に突きつけた“問い”。複雑な構造を持つ原作に挑んだ瀬々監督の覚悟と発見を聞いた。(取材・文:ほりきみき)

映画ならではの時間軸で小説の多層構造を三つの軸に

──湊かなえさんの集大成と言われる本作を映画化するにあたって、最初に感じた「覚悟」や「挑戦」は何でしたか。

もともと湊かなえさんの小説は好きで、何作か読んでいましたし、彼女が描く登場人物の微妙なニュアンスにも惹かれていました。ですから、いよいよ作品を映画化できるという喜びは大きかったです。

一方で、一番難しいと感じたのは「文学である」という点でした。この作品は、いわば“物語についての物語”でもあるんですよね。中心人物の名前が「文乃」と「章子」で、2人を合わせると「文章」になることからも分かるように、「書くこと」そのもの、つまり手紙を書き、それに対して書いて返すというやりとりが物語の核になっています。文章や物語、書く行為そのものがテーマになっている。それを映像としてどう落とし込むか、映画としてどう成立させるかというのは大きな課題でしたし、そこには何らかの発見が必要だと感じていました。

ただ、構成の複雑さについては、もともと自分自身が興味を持っていたタイプのものでもあったので、そこはうまく生かせるのではないかという手応えもありました。

──原作は6つの章が重なり合う複雑な構造です。それを映画の脚本に落とし込む際に、最も大切にした「物語の軸」を教えてください。

映画には、異なる時間や場所の物語が巡り合うことで、ひとつの大きな流れになっていく面白さがあります。たとえば『めぐりあう時間たち』(2002)は複数の物語がうまく組み合わさることで、より大きな物語が立ち上がっていく。そうした構造に魅力を感じていました。

この作品で最初に思いついたのは、「三都物語」にすることでした。ひとつは章子たちが育った町。そして、真唯子が大学時代を過ごした東京。さらに良太と真珠のいる町。この3つの場所をそれぞれの軸にして、3つの物語が並行して流れていき、それぞれが結びつくことで、はじめてひとつの大きな物語になる――そんな映画にできればいいな、というのが最初のイメージでした。

画像1: 映画ならではの時間軸で小説の多層構造を三つの軸に

──章子たちの町と真珠の町で起きた事件を、小説ではそれぞれの章で描いていますが、映画では同時に見せていく。その構成がとても印象的でした。

あれは時間が大きく飛躍していて、何十年も前の出来事と現在が重なり合うように見えていく構造になっています。そうした反復や重なりによって、親から子へと受け継がれていく物語の連続性が浮かび上がってくる。

こういった表現は、やはり映画ならではのものですね。小説で同じことをやってもあまり面白くならないと思いますが、映像は時間や場面を繋ぎ合わせることで、ひとつの世界を立ち上げることができる。その可能性を活かしたいという発想からできたものでした。

画像2: 映画ならではの時間軸で小説の多層構造を三つの軸に

──先ほど、「文章や物語、書く行為そのものがテーマになっている。それを映像としてどう落とし込むか、映画としてどう成立させるかというのは大きな課題」とおっしゃっていましたが、そのことに対して、どう取り組まれましたか。

映画で文字をそのまま見せても、なかなか成立しないんですよね。そこは本当に難しかったです。手紙というのはどうしてもオフの表現になりがちですし。

ただ今回、「燃えかけの手紙」というモチーフがあって、これは映像化の大きな手がかりになりました。書かれたものが燃えていく、その過程自体がイメージとして強いので、視覚的な表現に繋げやすかったんです。

さらに、主人公がスマートフォンで映像を撮るという要素を加えました。手紙=文章によるコミュニケーションに対して、もうひとつの手段として映像がある。その2つが並行することで、世界との関係性を映画として立ち上げられるのではないかと考えました。

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