五代という刑事に宿した「個性のない個性」
──和真と美令の物語が中心となる中で、五代という刑事はどのような存在として描こうと考えられたのでしょうか。
監督:松村さんと今田さんの起用が決まり、「じゃあ五代刑事は誰にお願いしようか」という議論の中で、柄本佑さんの名前が候補に挙がったんです。
実際にお会いしていろいろとお話しさせていただくなかで、東野先生のおっしゃる「令和の警察官・刑事」という存在をどう画面上で表現すべきか、演じる側の佑さんとしても何を拠り所に演じるべきか、というアイデアを提示し合いました。
今作はどうしても和真と美令のドラマに軸足が置かれているため、限られた出演シーンの中で五代のキャラクターを際立たせる必要がありました。かといって、これまでの刑事ドラマにあるような熱血漢や、組織全体で突き進むような分かりやすいタイプとして描くのではなく、ひとりの人間として組織の中でどう振る舞うのか。そこがセリフや行動の端々に出てくるはずだと考えました。
ちなみに、五代という人物を考える上で印象的だったのが、出されたお茶を飲むという芝居です。新垣プロデューサーが東野さんとお話しされた時に、「刑事は普通、事情聴取で出されたお茶を飲みませんが、五代という刑事は飲むのです」とおっしゃっていたそうです。でも実は、その話を聞く前から、佑さんが自然にその芝居をされていたんですよ。それを見て、「あ、東野さんが考えていた五代と、佑さんが作ろうとしている五代が重なっている」と感じました。
そうやって佑さんと対話を重ねる中で浮かび上がってきたキーワードが、「個性のない個性」でした。一見個性がなさそうな佇まいだからこそ、逆にその人らしさが見えてくる。そのためにどんなシーンが必要かを議論しました。
──その「個性のない個性」は、どのように具体化されていったのでしょうか。
監督:例えば、原作にはあったものの、脚本では一度なくなっていた「休日に映画館へ行く」という要素がありました。五代は休みの日に何をしているのか。どんな映画を見るのか。そういうことを佑さんと話しながら考えていきました。

──五代は小津安二郎監督の『麥秋』(1951年)を観ていましたね。
監督:あの場面は、五代の人柄を見せるために大切でした。映画館で何を見るのかということも、その人物を表す要素になります。今回は松竹さんに相談して、実際に使用できる作品をいくつか候補として挙げていただき、その中から『麥秋』を選びました。僕が考えていたのは、「泣ける映画を観ている五代」です。
映画の中では、周囲のお客さんが涙を流している。でも五代は、刑事として見てきたものがあるから、簡単には泣けない。そこに彼の抱えているものが表れるのではないかと思いました。
また、眼鏡をかけるアイデアは佑さんから出たものです。衣装も含めて、五代という人物をどう見せるかを一緒に作っていきました。
──五代が人波の中から離れて、殺人現場へ向かうシーンが印象的でした。
監督:佑さんが「五代という人物は、もしかすると刑事という仕事が好きではないのかもしれない」と言い出したんです。もちろん仕事として責任を持って向き合っている。でも、刑事という仕事は人間の業や悲しみを見続けなければならない仕事でもある。だから休日には、そうした現実から少し離れる時間を持っているのではないか。そう考えた時、現場へ向かう場面は、五代という人物を表す上で重要なシーンになりました。人々が日常を送る街の中に、イヤホンで好きな音楽を聴きながら融け込んでいた五代が、そこから外れて現場へ向かう。彼にとって現場に行くのはあくまで「仕事」であり、現場に着いて初めて“刑事”という仮面をかぶるような人物なのではないかと考えたのです。その落差を描くことで、五代という人間が見えてくるのではないかと思いました。
映像だからこそ生まれた『白鳥とコウモリ』
──冒頭の留置所のシーンですが、これから大きな事件が始まるという不穏な空気が強く残ります。
監督:あのシーンは僕自身も非常に気に入っています。実はあのシーンも向井さんがかなりこだわったんですよね。
向井:和真と美令の物語として考えた時、最初は和真から始める構成もありました。でも、東野さんとのやり取りの中で、改めて「この事件そのものを大切に扱う必要がある」と考えるようになったのです。よく考えると、すべては30年以上前の事件から始まっている。その原点を最初に描くことで、この物語全体の重みを伝えられるのではないかと思いました。また、その後に白石健介が小料理店を見つめている横顔につなげることで、「この事件には何かがある」と感じてもらいたかったんです。初めて観る方には大きなネタバレにはならないように、でも2回目に観る方には「あの時の表情はそういう意味だったのか」と感じてもらえるような入り口にしたいと思いました。
──冒頭シーンは撮影に苦労されたと聞きました。
監督:シーン1とシーン2は、脚本のト書きだけを見ると、実はそれほど長いシーンではありませんでした。最初は「すぐ終わるかな」と思っていたんです。
でも、観客の印象に残るためには、刑事が廊下を歩いてくる時間や、何かが起こる予感を生む間が大切だと思いました。そのためには、光や影、歩く時間、カメラの動きなど、さまざまな要素が必要になります。
カメラマンの羅偉恩さんの撮影設計や照明によって、最終的に冒頭の手元の描写にたどり着きました。動かない手を映すことで、この事件の重さを伝えられるのではないかと。編集も含めて時間をかけましたが、映像の力に助けられたシーンだと思っています。

──作品全体を通して、「手」の描写が印象に残ります。
監督:脚本に向井さんのアイデアが込められているとしたら、演出的なアイデアとして、映画全体を貫くモチーフが必要だと思いました。その時に考えたのが「手」でした。
物語の大きな山場として、和真と美令が手をつなぐ場面があります。その手がなぜ印象に残るのかを考えると、そこには「生きていく意志」があると思ったんです。
反対に、亡くなった人の手にはもう意志がありません。そう考えると、冒頭の留置所で発見される「動かなくなった手」をはじめ、「悩み葛藤する手」「光を遮る手」といったものを過度に主張しすぎずさりげなく劇中に忍ばせていくことで、より効果的に響くのではないかと考えました。大きく「この意味です」と示すのではなく、観客が無意識に感じ取れるような形で入れてみました。
──和真と美令が向き合うラストシーンも大きな余韻を残します。
監督:ラストに関しては、ロケーションだけではなく、光や音の響きも含めて、どこか「アジア的な世界観」を感じられる質感を目指していました。
最初の脚本では、もっとシンプルに「歩行者信号の青が点滅し、赤に変わるタイミングで和真が踵を返す」という描写でしたが、ロケーションを探していく中で、もっと映画的な表現ができる場所はないかと考えるようになりました。そこで出会ったのが、モノレールの高架下です。
あの場所には、和真の決断を象徴する意味を込めました。境界線を越えるのか、戻るのか。その葛藤を映像として表現したかったんです。
頭上を大きな音を立ててモノレールが通り過ぎることで、和真の中にあった迷いや苦しみが一度遮断され、再び走り出す。観る方によって感じ方は違うと思いますが、映画ならではの表現として、あの場所を選びました。

<PROFILE>
監督:岸善幸
山形県出身。早稲田大学卒業後、映像制作会社テレビマンユニオンに入社。テレビバラエティやドキュメンタリー番組を手がけた後、ドキュメンタリードラマの演出をスタート。東日本大震災で津波の被害を受けた人々の再生を描いた「ラジオ」(13)は、国際エミー賞のテレビ映画部門にノミネートされた。『二重生活』(16)で映画監督としてデビュー。寺山修司の小説を映画化した『あゝ、荒野』(17)では主演に菅田将暉とヤン・イクチュンをむかえ同作で第 60 回ブルーリボン賞作品賞、第 30 回日刊スポーツ映画大賞作品賞、第 42 回報知映画賞作品賞ほか多数の賞を受賞。『前科者』(22)では犯罪者の社会復帰の難しさ、第 36回東京国際映画祭最優秀監督賞と観客賞を受賞した『正欲』(23)では多様性の光と影を描いた。2025 年の『サンセット・サンライズ』では、宮城県南三陸に「お試し移住」を始める主人公を据え、地方の過疎化や東日本大震災などの社会問題を交えて描いた。
脚本家:向井康介
徳島県出身。主な担当作品に『ある男』(22)、『愚か者の身分』(25)、『平場の月』(25)など。

右:岸善幸監督、左:脚本家・向井康介氏
『白鳥とコウモリ』9月4日(金)全国公開
映画『白鳥とコウモリ』本予告【9月4日(Fri.) ROADSHOW】
www.youtube.com<STORY>
善良な弁護士が、刺殺された。「私がやりました。“すべての事件”の犯人は私です」容疑者として浮上した一人の男、その自供により事件は解決したはずだった―。だが、容疑者の息子・倉木和真(松村北斗)と、被害者の娘・白石美令(今田美桜)は、互いの父の言動に違和感を抱く。「なぜ父は、殺人を犯したのか―?」「なぜ父は、殺されないといけなかったのか―?」出会ってはいけない、容疑者の息子と被害者の娘が手を取り合ったとき、“真実”が揺れ動く。
<STAFF&CAST>
原作:東野圭吾 『白鳥とコウモリ』(幻冬舎文庫)
監督:岸善幸
脚本:向井康介
出演:松村北斗 今田美桜 柄本佑 中村芝翫 三浦友和 ほか
主題歌:大森元貴「灰色」(ユニバーサル ミュージック / EMI Records)
2026年/日本/カラー/5.1ch/ヨーロピアンビスタ/145分
配給:松竹
© 2026「白鳥とコウモリ」製作委員会


