岡山県奈義町をモデルとした架空の町「ナギ」を舞台に、地方で生きる人々の姿を描いた映画『ナギダイアリー』。深田晃司監督が奈義町での取材を重ねながら作り上げた本作は、土地や家族、人と人との関係を静かに見つめる物語だ。松たか子演じる寄子と、石橋静河演じる友梨。異なる環境で生きながら、それぞれの不自由さを抱える2人の女性を通して、自由とは何か、そして人がその人らしく生きるとは何かを問いかける。カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも選出された本作について、深田監督に奈義町との出会い、俳優たちとの創作、そして映画表現における「可視化」の意味について聞いた。(取材・文/ほりきみき)

「可視化」は映画が担うべき役割の一つ

──寄子をセクシュアルマイノリティとして描いた理由を教えてください。

奈義町で取材を重ねる中で、本当にたくさんの魅力的な方々にお会いしました。その出会いは脚本にも数多く反映されています。

ただ、一方で、どうしても出会うことができなかった人たちがいました。それがセクシュアルマイノリティの方々です。話題に上ることもほとんどなく、まるでこの町には存在しないかのようでした。

でも、統計的に考えれば、そこにいないはずがありません。これは奈義町だけの話ではなく、日本社会、あるいは海外でだって起こり得ることだと思います。カミングアウトが高いハードルである限り、存在そのものが見えなくなってしまう。取材を通してそうした「透明化」に直面したからこそ、フォーカスを当てるべきではないかと考えました。ないものとされている存在を可視化していくことも、表現が社会に対して果たせる役割の一つだと思っています。そうした思いから、寄子はセクシュアルマイノリティという設定になりました。

──先程、寄子が春樹と圭太という2人の中学生に向き合った話をされていました。もし彼らの関係性が異なるものだった場合、寄子の受け止め方は変わっていたと思いますか。

これは仮定の話なので、正直なところ、これまで深く考えたことはありませんでした。ただ、今改めて考えてみると、どちらもあり得る気がします。寄子だったら、結局は彼らの決断に対して「頑張ってみればいい」と背中を押してしまうような気もします。

一方で、まったく同じ対応だったかというと、そこは違ったかもしれません。寄子の中で大きな揺らぎが起きて、冷静な判断ができなくなったことが重要だと思っているからです。そこには、春樹と圭太の姿に自分自身を重ねた部分があったのだと思います。

でも、やっぱり寄子は最終的にはジェンダーやセクシャリティはどうあれ、2人を応援したのではないかと思います。

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──本作のクィア表象は“日常の中の静かな揺らぎ”として描かれていますが、監督はその静けさにどんな意味を込めましたか。

静けさというのは、やはり「可視化」ということを大切にした結果だと思います。

今回の作品に限らず、僕自身はいわゆるセクシュアルマイノリティの当事者ではありません。そういう意味では、自分はある種、外側にいる立場だと思っています。

ただ、セクシュアルマイノリティを題材にする作品では、どうしてもセンセーショナルに描かれたり、あるいは悲劇として描かれることが多くあります。もちろん、現実に悲劇は起きていますし、それを表現として描くことはとても重要です。

一方で、悲劇性を強調した物語は、場合によってはマジョリティ側の感情移入に最適化された表現になってしまう危険もあると思っています。セクシュアルマイノリティの苦しみや葛藤が、エンターテインメントとして消費されてしまう可能性がある。そのバランスは非常に難しいところです。

だからこそ今回は、自分自身がマジョリティ側にいるという自覚を持ちながら、セクシュアルマイノリティの存在を特別なものとして扱うのではなく、日常の延長線上にある一つの要素として描くことが必要でした。

重要なのは、それを当たり前のものとして描くことだと思っています。センセーショナルなとこばかりにフォーカスをするのではなく、日常の中にあるさまざまな葛藤の一つとして描く。そのことが自分にとっては大切でした。

そもそも現在、多くの表現は、ヘテロセクシュアルやシスジェンダーといったマジョリティを中心に作られてきました。だから作品の中にLGBTQ+の人物が登場すると、「なぜこの設定にしたのか」と問われることがあります。

でも、例えばヘテロセクシュアルの人物やシスジェンダーの人物が登場したり恋愛したりする時に、「なぜこの人はヘテロセクシュアルなのか」「なぜシスジェンダーなのか」と問われることはありません。今の状況はまだ、過渡期なのだと思います。

これはLGBTQ+に限った話ではありません。例えば、日本映画には在日韓国人の人物が登場する機会は多くありません。でも、日本社会には当然多くの在日韓国人の方々が暮らしています。それにもかかわらず、現実に存在する人々が物語の中では見えない存在になっている。

社会における「透明化」に表現までも足並みを揃えてしまうのは負のサイクルであり、そこを少しずつ崩していくことがこれからの表現に求められてくるのではないかと思っています。

もちろん、マイノリティに関する悲劇を描くこと自体が間違っているわけではありません。ただ、最終的には、彼らが特別な説明を必要とする存在ではなく、当たり前に登場人物として存在する状況を積み重ねていくことが大切なのだと思います。

それが10年後、20年後、30年後になるかは分かりませんが、いつか「なぜこの人物はセクシュアルマイノリティなのか」と問うこと自体が意味を持たなくなる時代が来ればいいと思っています。そして、そこに表現も責任の一端を担っているのだと思います。

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──今のお話を伺っていて、『LOVELIFE』(2022年)を思い出しました。あの作品ではろう者の方が描かれていましたが、どこかに存在するのに見えなくなっている「透明化された人々」へ焦点を当て、可視化していくということは、深田監督が貫かれている大きなテーマなのでしょうか。

少し違うと思います。もう少し広い話だと考えています。映画をはじめとする映像表現は、非常に複製性が高く、大きな影響力を持っています。だからこそ、映像を作る人間は、社会に対して一定の責任を負っていると思っています。映像で描かれたものは、社会のイメージや表象になっていくからです。

社会学では「オリジナルなきコピー」という考え方があります。例えば、博士という職業を考えた時、物語の中で描かれる博士は白い髭の生えた老人として記号的に描かれがちですが、その積み重ねによって、「知的階級にある博士は男性である」というイメージが作られていきます。

もちろん、現実社会が男性中心だったという歴史的な背景がそこにはありますが、でも誰も「白い髭の生えた老人」のイメージがどこから始まったのかも分からないまま、フィクションという表象が、そのイメージを複製しさらに強化してきた側面もあると思うんです。

だからこそ、何を描き、誰を登場させるのか、逆に何を描かないのか、表現に携わるすべての人間が考えなければならない責任だと思っています。

これは自分個人の作家性だけの問題ではなく、映像表現に関わるすべての人が、社会のイメージに関与しているという自覚を持つべきだという、もっと大きな話だと思っています。

──今回のカンヌ国際映画祭コンペティション部門選出を経て、ご自身の映画作りや作家性において新しく開けたと感じる扉はありますか。

正直に言うと、あるのかないのか、まだよく分かりません。

もちろん、コンペティション部門に選出していただいたことは本当にありがたいですし、注目していただく機会が増えたことも事実です。

映画祭は、いわゆるハリウッド的なエンターテインメントの論理とは別の価値観を提示する場でもあると思っています。もちろん、ハリウッド的な作品づくりも素晴らしいものですが、それとは異なる映画の可能性を評価し、観客に届けてくれる場所として、映画祭には大きな意義がある。そこで作品が上映され、一定の評価をしていただけたことは本当にありがたいことだと思います。

一方で、映画祭に選ばれることがすべてではないとも思っています。「映画祭に選ばれるかどうか」を評価軸にして、そこから逆算して映画を作るようにはなりたくない。

それは今回の『ナギダイアリー』に登場する寄子と友梨の関係にも少し重なるところがあります。友梨は、社会の中で評価されることや、周囲の期待に応えようとする中で、自分が本当に作りたいものは何だったのかを見失いかけています。一方で寄子は、評価されることや仕事として成立することは大して気にかけず、ただひたすら彫刻を作り続けている。そういう意味では、寄子のような芸術家は本当に稀有な存在だと思います。

自分自身は、友梨に近い部分を持ちながら、寄子のような存在に憧れ続けています。

外部から与えられる評価や権威と、どのように適切な距離を取りながら、自分が本当に作りたいものを作り続けていくのか。それがこれからも自分にとって大きな課題だと感じています。

<PROFILE> 
深田晃司 
1980年生まれ、東京都出身。1999年、映画美学校フィクションコース入学。2005年、現代口語演劇を掲げる平田オリザ主宰の劇団・青年団に演出部として入団。2010年、『歓待』が東京国際映画祭「日本映画・ある視点」作品賞、プチョン国際ファンタスティック映画祭最優秀アジア映画賞を受賞。13年、『ほとりの朔子』がナント三大陸映画祭グランプリ&若い審査員賞をダブル受賞。15年、平田オリザ原作の『さようなら』でマドリード国際映画祭ディアス・デ・シネ最優秀作品賞受賞。16年、『淵に立つ』が第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞、翌年、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。18年『海を駆ける』を経て、フランス芸術文化勲章「シュバリエ」を受勲。その他の監督作に、『よこがお』(19)、ドラマ「本気のしるし」(19/メ〜テレ)を再編集した『本気のしるし〈TVドラマ再編集劇場版〉』(20/第73回カンヌ国際映画祭「Official Selection 2020」選出)、第79回 ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品『LOVE LIFE』(22)、カンヌ国際映画祭「カンヌ・プレミア」部門正式出品『恋愛裁判』(25)など。監督・脚本を手掛けた最新作、『ナギダイアリー』は第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品。

『ナギダイアリー』2026年9月25日(金)より新宿ピカデリー、ユーロスペース ほか全国ロードショー

画像: 【60秒本予告】映画『ナギダイアリー』9.25公開 www.youtube.com

【60秒本予告】映画『ナギダイアリー』9.25公開

www.youtube.com

<STORY> 
近くの山から切り出される木でひとり彫刻を作る寄子。 ある日、東京と台湾で建築家として活躍してきた友梨は、数日間の休暇をとって、別れた夫の姉・寄子のもとを訪れる。 都会にはない「ナギ」での穏やかな生活。 妻を亡くした寄子の幼なじみの好浩、そして息子の春樹とその親友の圭太――人々との出会いは、日常に小さな揺らぎをもたらしていく。 やがて、彫刻のモデルを毎晩つとめるなかで寄子の知られざる喪失に触れ、友梨にも変化が起きていく。

<STAFF&CAST> 
監督・脚本:深田晃司 
出演:松たか子、石橋静河、川口和空、藤原聖、藤間爽子、水間ロン、申瑞季、松山ケンイチ 
2026/日本、フランス、シンガポール、フィリピン/ヨーロピアンビスタ/5.1ch/カラー/110分/映倫区分:G  
配給:スターサンズ 
© 2026 ナギダイアリー・パートナーズ (スターサンズ/八朔ラボ/ワンダーストラック) / Survivance / Momo Film Co.

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