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01: メンバーはインテリぞろい
ブライアン・メイはインペリアル・カレッジで天文学を学び、デビュー後も大学院まで進んおり、後に博士号を授与された。ロジャー・テイラーは歯科医の卵。ジョン・ディーコンは後にチェルシー・カレッジ電子工学科で学んだエンジニア。空港勤務のイメージが強いフレディ・マーキュリーもイーリング・カレッジ・オブ・アートに通っていた、というわけで“ロックは不良の音楽”というイメージがあった時代の中で、クイーンは異質の存在だった。
02: クイーンというバンド名
名付親はフレディ。彼は『イギリスは女王の国だし、威厳と高潔さがある』と語っているが、いたずら好きの彼のことだからスラングで“おかま”という意味があるのを知った上でのジョークなのだろう。
03: クイーンのシンボルマーク
アルバム『オペラ座の夜』『華麗なるレース』のジャケットを飾る彼らのシンボルマーク。それぞれの星座にちなみ、蟹座(ブライアン)、乙女座(フレディ)、二匹の獅子座(ジョンとロジャー)を白鳥(または不死鳥)が見守るというデザインはフレディによるもの。
04: ブライアンのギターは手作り
“レッド・スペシャル”と呼ばれるブライアンのギターは、16歳の時、エンジニアだった父と共に19世紀の暖炉に使われていた古いマホガニー材で作ったもの。アームのスプリングもバイクから廃物利用され、かかった費用はたった8ポンド。ピックではなくコインで弾くのも独特のスタイル。このギターは映画「ボヘミアン・ラプソディ」(以降「BR」と略)で実際に使用されている。
05: 正式デビュー前にレコードをリリース?
デビュー・アルバム録音中の彼らは、スタジオが新しい機材をチェックするのに雇われ、お遊び気分でレコーディング。なぜか、その曲“アイ・キャン・ヒア・ミュージック”が発売されたのだ(アルバム発売直前だったため、ラリー・ルーレックスという変名に)。超レアアイテムだったが、今はフレディのベスト盤などで聴くことができる。
06: 実は英国でもデビュー当時から売れていた
クイーンの伝説でよく語られるのが『彼らは欧米では人気がなかった』というもの。しかし実はデビュー・アルバム『戦慄の王女』は17週にわたって全英チャートにランクイン、シングル“輝ける7つの海”は5位、アルバム『クイーンⅡ』も5位と、ちゃんとヒットしているのだ。ではなぜこんな伝説が生まれたのかというと、批評家が彼らを認めず、悪口ばかりが報道されたから。やはりファンの方が見る目は確かということか。
07: 最初の全米ツアーの真実
74年にモット・ザ・フープルの前座として意気揚々とアメリカに渡ったクイーン。しかし、たった5回のギグをこなしただけでブライアンが肝炎にかかって、あっさり帰国するハメに…。この部分は「BR」では演出上の効果を上げるため、数回分のツアーの様子をミックスして描かれている(使われている曲も78年の“ファット・ボトムド・ガール”)。
08: クイーンは日本好き?
“キラー・クイーン”の大ヒットを受けた75年4月、クイーン初来日。空港には多くのファンが待ち受け、かつてないほどの熱狂が彼らを包んだ。それまでマスコミに冷遇されてきた彼らにとってこの感激は忘れられないものとなり、以後、海外メディアの取材は断っても日本は別格扱いに。日本語歌詞の入った“手をとりあって”を作ったほど。
09: ノー・シンセサイザー
彼らの初期のアルバムには、“シンセサイザーは使っていない”とわざわざクレジットされていた。これはスタジオワークとアイディアに自信があったためで、シンセサイザーを使うようになったのは80年のアルバム『ザ・ゲーム』からのこと。
10: 日本でのすさまじい人気ぶり
初来日以降、日本ではアイドル人気を集め、70~80年代にかけて雑誌ミュージック・ライフの人気投票では8年連続のトップ。04年にはドラマ「プライド」の主題歌に“ボーン・トゥ・ラヴ・ユー”が使われ、新たに組まれたベスト盤がオリコン1位という快挙。そして現在「BR」のヒットで3度目のブームが。その姿はさながら不死鳥のよう。