第74回カンヌ国際映画祭 オフィシャル・セレクション「カンヌ・プルミエール」部門 選出
齋藤優一郎プロデューサー インタビュー
齋藤優一郎 プロフィール
1976年生まれ。茨城県出身。アニメーション映画制作会社「スタジオ地図」代表取締役プロデューサー。米国留学後、1999年マッドハウス入社。プロデューサー丸山正雄に師事し、多くのアニメーション企画や海外との共同製作、また実写とのコラボレート作品などに参加。
細田守監督作品では『時をかける少女』(2006)、『サマーウォーズ』(2009)のプロデューサーを務めた。2011年同社を退社後、細田監督と共に「スタジオ地図」を設立。以後、細田守監督作品のプロデュースに専念し、『おおかみこどもの雨と雪』(2012)、『バケモノの子』(2015)、『未来のミライ』(2018)を企画・制作した。2019年から米国アカデミー会員。
『竜とそばかすの姫』が細田守監督のフェーズを大きく変えると確信
2006年の『時をかける少女』以降、3年に1本のペースで製作・公開されている細田守監督全作品のプロデュースを手がける齋藤優一郎プロデューサー。細田監督とともに立ち上げたスタジオ地図創立10周年を迎えた現在の心境、そして、齋藤プロデューサーが思い描く“スタジオ地図の未来”を語ってもらった。
── スタジオ地図創立10周年を迎えた現在の心境は?
あっという間でした。細田監督との出会いは2004年。『時をかける少女』(2006)以降、3年に1本のペースで監督とプロデューサーという関係で6本作品を作ってきました。スタジオ地図10周年というより、細田監督と歩んだ18年という印象が強いです。
── プロデューサーとして心掛けていることを教えてください。
「細田監督が表現したいこと、チャレンジしたいことに寄り添うことです。どんな人が集まれば、監督が描きたいものを作れるのか。一番良い形で作品を作り、一番良い形で世に送り出すためにできることを考えます。
受注で作品を作るスタジオではないので、一回失敗したら次はありません。世に出した作品は、可能であれば見続けていただき、内容的にも経済的にも評価され、それを一緒に作った人たちに還元し、次の新しい作品という新たなチャレンジに繋げていきたい、その環境を整えたい。
そういうサイクルを生み出したいという気持ちで立ち上げたのがスタジオ地図です。ピュアに映画を作り、ピュアにプロデュースする場所があってもいい、そんな思いがありました。
── 細田監督と歩む中で、制作会社を作ろうという流れになったのでしょうか。
『サマーウォーズ』(2009)後に作りたいものを細田監督に尋ねたときに、“母親の総括をしたい”という答えが返ってきました。お母さんが亡くなったことがきっかけで、息子の立場から母親の人生を讃えたいという個人的な思いが強くあったようです。
そうして作られた『おおかみこどもの雨と雪』(2012)は、結果、世界中の母親、そして女性讃歌と評価されましたが、監督のパーソナルでピュアな思いから始まりました。そんなピュアな気持ちに寄り添うためには、社員プロデューサーという立場では難しいという考えもあり、設立に至りました。
── 監督は、『竜とそばかすの姫』の構想も、生まれたときからインターネットのある世界で、ご自身の娘さんがどう生きていくのかを考えたことがきっかけとおっしゃっていました。
映画に限らず、ものを作る人は理想をイメージしたり、人生で欠損している部分を見出し、足りないピースを埋めたくなるものです。細田監督はそういう気持ちが人一倍強いうえにとてもピュアだと感じています。